2007年12月11日火曜日

日系社会青年ボランティア

写真はゆんフリー


2007.12.10亜細亜大学JICA日系社会ボランティアOB鈴木彩見(同大学OB)
このひとは未だ若い女性の卒業生であった。
青年海外協力隊とボランティアの2つの流れがある。
シニアでもシニア海外ボランティア、日系社会シニアボランティアは40~69歳まで可能であることが分かった。それにはこの道一筋のキャリアが要求されるようです。
海外派遣は43年目で累計3万人にのぼる。約80ケ国職種Ⅰ20種、教育文化、小学校や青年活動、保健衛生(エイズや感染症)60日間の現地語中心の訓練期間がある。
派遣終了後に要請等により、小学校や大学へ経験談のPRが必要である。

日本人の海外移住は、最初は1867年ハワイだった。戦前は77万人、戦後は24万人で海外の日系人は約260万人だそうです。最初は北米であったが段々南米へ移行していった。海外移住は農村不況と日本の食料事情の悪さのための出稼ぎだった。ブラジルでは1908年が最初で来年100周年だそうです。
この鈴木さんはアルゼンチンの日本語教師として派遣されたが、事前にわかるのはラテン系、アジア系、アフリカ系のおおまかな地区分野しかわからない。
アルゼンチンでは三番目のサンタ州ロザリオで100万人の大都市だった。だから必ずしも辺鄙なところへの派遣とは限らない。ラテン系の名称は日本人には同じような地名と思うらしく、相当確認を必要とする。
●南半球なので南風が吹くと寒いということに慣れるのに手間取った。
●イタリアから母を訪ねて3千里でマルコ少年がこの町に滞在した
●スペインやイタリアからの移民多し
●食事は牛肉をやいたアーサド、こればかりではビタミンがたりず、金属製のストローでホストを中心に飲む野菜といわれるマテというお茶をよく飲む。休日で公園でも仲間とつれだってこのマテ茶を飲む。
●女同士だけでなく、男女でも初対面でもベシートという挨拶が頬をつける礼儀であるが、日本人はなれるまで恥ずかしい。慣れると、これをしないと帰るのが物足りなくなる。友達との約束よりも、家族との食事が優先する
●日本人会や日本語学校の年間行事:1月新年会、3月敬老会、5月総会・バザー、6月ボーリング、?月移民祭り(各民族の出しものがあり、10夜連続)、12月忘年会。日本人の会館では席が男女別れる、アルゼンチンでは夫婦は何時も一緒なのに。
●日本語学校の生徒;日系2.5:以外7.5。児童館みたいなイメージもあるし、多勢に無勢ということか、日本人は劣等感と差別化感を感じている。日本人同士の交流の場、日本文化を継承させようという意図もある。
●日本の7.5倍の面積に4分の1の人口3910万人。
●日系人の言語:コロニア語日本語とスペイン語のmix、明治か大正、昭和初期の日本単語を使っている部分もある。
●アルゼンチンへの移住は戦前は5398人、戦後12066人、日系人約三万人、沖縄出身者70%。パラガイやボリビア、ブラジルから転住してくる移民おおし
1990年から日系人の入国ビザなしは日本の労働人口の補いである。
●JICA横浜 海外移住資料館http://jomm.jp/
JAICAホームページ:http://www.jica.gp.jp/
「世界の笑顔のために」http://jica.go.jp/partner/smile/index.html

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