2010年1月23日土曜日

自信


おはようございます。子ども手当が支給される予定ですが、これは親がいる子に支給されるもので、親がそんな中、「児童手当は 親のいない子どもには支給されません。
  親への支給の形をとっているからです。いま全国で5000人いる 親のいない子どもたちに  子ども手当てを支給する仕組みづくりを検討しています。」という長妻大臣を補佐
している山井議員のメールマガジンがありました。
父(作家・新田次郎)への恋文:藤原咲子
私は自分を美人だとは思っていなかった。雑誌『ひまわり』の表紙を飾る少女に心奪われていたから、現実には打ちのめされ,自信がなかった。通学に利用していた中央線の電車から、整形美容の看板が黒い雲のしたに幾重にも揺れて目に飛び込んできた。電車の席はできるだけ隅にとり、目立たないようにじっとしていることが私を落ち着かせた。そんなころは正面から父と対峙するには耐えられない不安定な状態だった。
 そんなある日「咲子はとくに美人というわけではありませんよ、まぁ一般的ですね、絵のモデルですか、承知しました。咲子に伝えておきます」即座に私の意見も聞かずにでした。それは知り合いの美術大の卒業制作のためのモデルだった。
「いい思い出になるよ」、しかしどうしてもモデルなど出来る筈もない。愛想がない。眉間に皺をよせる癖。人前で必要以上にはにかむ癖があった。憂鬱は家族に向けられることがあって、兄のなんでもなような揶揄が引き金になり、泣きじゃくり始め、何日も尾を引いた。そんな時隣の老人が洗濯はさみで鼻が高くなることを教えてくれらので、早速試してみたが3分も我慢できない痛さだった。
父が「簡単に盛り上がるわけがないじゃないか、顔の美醜なんて問題ではないのだ。要は中身、チャキ(咲子の愛称)には可愛い目と口があって、なによりも可愛い・・・」
2カ月後画学生のモデルになった私の絵は畳2枚ほどの巨大なものに完成されていた。気になっていた天井を向いた丸い鼻はふくらんだピンクの両頬の中に、すっぽりと隠れ、尖った口元は口笛を吹いたように楽しそうだった。私が、前を歩いている私にささやき、後ろの私は、恥ずかしそうに風に膨らんだ紺色の制服のスカートを押さえている。何人もの私は全部私だった。夕暮れのキャンバスには、憂鬱も無愛想も眉間の皺もなかった。出来あがった構図の説明を興奮気味に話す私に、父は大きくうなずいた。

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