2010年1月21日木曜日

初々しかった時代


おはようございます。ここ2・3日は温かな天気ですね。弓の仲間が自宅から蝋梅をもってきた。ほとんど満開に近いくらい花開いている。
いい匂いするでしょうというが、小生鼻が悪く、春の匂いはオアズケでした。
雑誌記者・向田邦子:上野たま子
見た映画は『誰が為に鐘はなる』(監督サム・ウッド)だった。
邦子(向田さんが前勤めていた教育映画の会社から、転身し雄鶏社(おんどりしゃ)に入社、そこの雑誌『映画ストーリー』の創刊まもないころだった)
邦子さんは試写会を終え、喫茶店の席につくやいなや上野さんに問いかけた。
「イングリッド・バーグマン、あなたどう思う?」
「初々しいじゃない」
「ゲーリー・クーパーとキスするところ、いかが?」
「“鼻はどうなるの?いつもそれが不思議だったの”っていうところ?」
「鼻が邪魔にならないかって心配するのね、まるで14、15歳の小娘ね。バーグマンは当時28歳よ。ちょっと、われわれは騙されてはいけません」
そういった邦子さんの口調がワン・オクターブ上ずっていた。この人は既に接吻の経験があるのだろうか。一瞬私の頭のなかをそんな想いが横切った。邦子さんは、ゲーリー・クーパーがお好きなのだと、
私は気がついた。あの愁いを湛えた細い眼と、“オチョボ口”のクーパーが・・・。
今井正監督の名作『また逢う日まで』の、ガラス戸越しの接吻場面が観客に強い衝撃を与えたように、当時、キスはまだ“秘められるべきもの”であった。そのころ多くの日本人は、戦中からの封建的な倫
理観を捨てきれず、特に性の問題では一歩踏み出したところを逡巡している人と、何の抵抗もなくやってのける人と極端に分かれていた。

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