2010年1月22日金曜日

1億1回目の質問


おはようございます。昨日は弓道場で「出世的(しゅっせまと)」という半分余興てきなゲームをしました。通常直径1尺の的ではなく、8寸かや3寸まで5段階の的を、幼稚園から大学と称して、的中すれば、段階的に進むという競技でした。11時からの2時半まで7人で行いました。
1人だけ2巡回、4人が高校段階の4番目で1時間半も足踏み、あと10分というところで最終の5番目に向かい、これはものの5分で卒業しました。いつも4番目で脱落する例がおおいのですが、
そろって3人が卒業できたので、手を取り合って喜びました。

蹴る群れ:木村元彦

1966年7月30日サッカーW杯イングランド大会決勝で伝説となったジエフ・ハーストの”疑惑のゴール”。それはゲルマン蹴球人の民族的トラウマ。2ー2で迎えた延長戦。英国選手のハースト(後に大英国勲章とサーの称号をいただく)が右足で放ったシュートはバーに当たり、ゴールポストを結ぶ線上に落ちた。すぐさま西ドイツのDFがヘディングでクリアーするも、スイス人主審ゴトフリード・ディーンストが下した判定はインゴールだった。西ドイツ選手は、猛烈な勢いで抗議に殺到するが、ジャッジは覆らず。その後も加点されて2ー4で敗れた。
「線審があの位置から見えるはずがない」とドイツ人がいえば「詰めていたロジャー・ハントがプッシュせずに喜んでいたから割ったはずだ」とイギリス人が返す。
ところで後日談でハーストの2001年にだした自伝で「ビデオを何度も見返したが、やはりあれは入っているとはいえないな」と。
さらには著者の木村元彦は2003年ドルトムントに行ったついでにドイツ人のGK・チルコフスキの居場所を突き止め、インタビューした。
ーーその1966年のW杯について質問すると、愉快な質問ではないとことを承知しながらもう一億回訊かれたということですが、1億1回目の質問ですがと、尋ねてみた。「あのゴールが入っていたかですね」彼のカプチーノを持つ手も笑っている。「ハハッ。もしこの質問にドイツの著作権法が適用されていたら、私は大金持ちになっていたでしょうね。あれはゴールではありませんでした、。私は、ボールを指先で触っていました。わずかですが、向きを変えられたボールはバーに当たってそこからラインの上に落ちたんです」拍子抜けするほどの小ささ、左手の中指を差し出して説明してくれた。主審のゴトフリードには何も見えなかった。そこでロシア人の線審にきいたのですが、線審はそのときコーナーにいました。その位置からゴールだと言ったのです。これはジクジたる思いだったろうと思った。
しばらくしてチルコフスキがいうのには、「この主審にテレビでトークショウの時二「訊いてみたら、あのロシア人が決めたんだ。今でもあれが、ゴールかどうかわからない」と答えてくれた。
これでまだ続きがある。
あなたもご存じでしょうが、一番訊きたい質問は、「ハースト自信があれはゴールではなかったことを明らかにしていますが・・・。」
35年ぶりの冤罪が晴れたことの喜びなのかどうか、跳ね返ってきた反応は「ハハッ、きっと奴は、そういって本の売り上げをのばしたかったんだろうなあ」
サッカー界の英・独の因縁はここに始まったといわれるのに。

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