2010年1月10日日曜日

蹴る群れ②領土よりサッカー


おはようございます。サッカーは庶民感覚の歴史が感じられて、とても面白いように思えます。
蹴る群れ:木村元彦より
アルゼンチンの独裁者ホルヘ・ラファエルビデラ将軍がクーデターによってイサベル・ペロン大統領を追放し恐怖政治が始まった。そういう政治情勢下なので、78年のアルゼンチンWC杯大会でのアルゼンチン監督のメノッティはそれまで姑息で汚いといわれたアルゼンチンサッカーをクリーンで攻撃的なものに仕上げ、優勝に導いた。このアルゼンチンチームがオランダとの対戦でキックオフの時間に業と1時間も遅れて入場しプレッシャーをかけたという言説があるが、それは事実無根とオズワルド・アルディレス監督(オジーといわれてヴェルディ監督だった)。メノッティはオシム監督がナショナリストの突き上げに屈せず、多民族チームをまとめた名将だとして尊敬してやまない。かたやメノッテイは独裁政権の圧力から選手を守った知将、徹底したフェアプレイを選手に求める点で共通している。
イギリスとアルゼンチンが戦ったフォークランド紛争時の有名な逸話。オージーが<トットナム※>でプレーしていた1982年の4月2日。アルゼンチン軍4000名が英国領フォークランド諸島に突如上陸。イギリス海兵隊60名を捕虜にする。アルゼンチンはフォークランドを24番目の州として軍政下におき、イギリスはアルゼンチンと国交を断絶した。互いに国民の憎悪は頂点に達したかに見えた。しかしその翌日FAカップ、対<レスター>戦。アルゼンチン人初の入団した英国内のチーム<トットナム>のサポーターはわがチームでプレイーするアルゼンチン人にブーイングどころか」、最大の敬意を表した。彼らは」「オージーがいてくれるなら、フォークランドなんかくれてやる」と横断幕を掲げたそうです。※http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%8A%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%BCFC

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