2010年1月14日木曜日

女子サッカーの熱き思い


おはようございます。来週は高校のクラス会があって、40年以上もあっていなかった人との再会があります。ここは段々参加者が増えます。しかし持病の無い人は少ないようで、どこが悪い、ここが悪いというような話もすくなくありません。それはそれで楽しみであることは確かです。
蹴る群れ:木村元彦より
女子サッカーもアメリカでプロチームに参加している人も出ていますし、かなりのレベルですね。
西ドイツ1部のチーム<ビーレフェルト>を指導していた鈴木良平が帰国し、女子サッカーの初代代表監督に就任、当時の女子連盟の年間予算は50万円。それも全国大会開催の補助費だった。なきに等しい予算の中、カネ集めから始めなければならなかった。代表合宿は東大の持ち物であり千葉・検見川のグランドを一般申請で押さえて行われた。
選手達はそこで2週間の共同生活に入る前、必ず必死のジャンケンをした。宿舎の2段ベッドの上か下かを決めるためだ。口のきけないほど疲労困憊する練習後、ハシゴを上らずに就寝できるかはまさに死活問題だったの0だ。合宿の食事の肉は”ケミ肉”と呼ばれたのはいくらかんでもかみきれない肉であった。
選手達はこのような環境に対する不満はなかった。過呼吸で倒れるほど走らされようが、ケミ肉で顎が疲れようが、代表合宿にきて、初めて芝のグランドに立つことができて、専門の指導者に教わることができる喜びはなにものにも代え難かった。早くサッカーで世界と戦いたいという熱い思いのほうが強かった。

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