2010年1月15日金曜日

武術と野生動物


おはようございます。私がやっている弓道は、段を取得しようとか、競技会に出ようかという志まではないが、本来の武術はどういうものかは興味があった。
生きるか・死ぬかのところにあったようです。野生の動物の動作は自然にそのように鍛えられているようです。」
古武道入門:日野晃
武術:1敵は一人か複数かは決まっていない。
   2敵はいつ攻めてくるか決まっていない
   3敵の武器は一つとは限らない
スポーツの場合、剣道の場合を例にとれば相手が突然乱入して攻めてくることはない。ルールの上になりたっている。武道の3原則がないのがスポーツである。
敵は目の前にいる人間だけと思っていたら、後ろからも横からも来た。まだ相手が攻めてこないと思っていたら、後ろからいきなり攻めてきた。敵が武器として持っているのは刀だけと思っていたら、懐から手裏剣を出して投げてきた。後ろから弓で狙っていた。横から槍で突っ込んできた。これをクリアするのが「技」である。ただし「達人」には対戦相手との身体と「相互が接着している」「相互に接着していない」にかかわらず、相手の意識の変化・攻撃の意志の起こりを察知するための能力が必要なのだ。敵の攻撃の意志の起こりを攻撃という具体的動作が起こる前に察知し、それに対応する能力が必要。武道では一瞬のミスで生命を落とすという条件が常にある。街を歩く、喫茶店で座る、座敷に座る、風呂に入る、食事をする、日常生活すべての動き・行動が直接自分の生命とかかわっている。という自覚をもっているのが武道家なのだ。「武芸十八般」の剣道、居合術、短刀術、槍術、薙刀術、手裏剣術、鎖鎌術、杖術、棒術、弓術、馬術、柔術、砲術、十手術、捕縛術、三道具、忍術、水泳術、これらの武術を体得し、精密な動きが形成されていくと力をフンダンに出せる身体になる。
日常において洗顔するとき、手を小刻みに動かそうととか、上下に動かし顔の表面にあまり圧力がかからないように、などと考えながら、もしくは意識しながら洗顔してはいないだろう。それが「手を使っている」ということなのだ。その「手を使っている」というなかでも「丁寧な手」と「粗雑な手」がある。その丁寧な手で目的が何よりも早く達成されなければいけない。それが手を「使えている」という。武芸一八般の効用は身体運動からスキを排除していったことにある。無駄な動きを無くしていったのだ。猫の動き、犬の動き、ライオンの、トラの、キリンの、なにか対象に対しての一切の無駄のない動きがそれである。

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