2010年1月9日土曜日
蹴る群れ
おはようございます。昨日は89歳の叔母の入所先にお見舞いでした。午前中はお風呂、3時の食堂でオヤツのあとで、3人の仲間といながらおしゃべりしていました。
きくとところでは、皆気の合うグループのようで、皆ニコニコしていました。我々の顔を見ると、ニコットして待ち受けていた様子でした。談話室から帰り際席に戻ると
もう一人増えて4人になっていました。
「蹴る群れ」::講談社
木村元彦http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E5%85%83%E5%BD%A6 より
サッカー選手:ヨアン・アンドネ
1960年ルーマニア出身。1983年ルーマニアのトップチーム<ディナモ・ブカレスト>に入団。長い間、控えに甘んじ、19990年W杯、宿敵<ステアウア=s>とのダービー戦の時だった。観戦中のチャウシェスク大統領の長男(sチームの会長)ルーマニアカップでも対抗チームが勝っていると、試合をボイコットさせたり、優秀な選手は自分のチームに入れてしまうような強引そのものの人物はヴァレンティン。こういう人物に腹だたしく思っていたが、じっと我慢するしかなかった。
しかしこの試合は3ー0の文句のない<ディナモ>の圧勝のときだった。自らも得点を決めたアンドネはこのチャウシェスク大統領の長男に対して、パンツからお尻をだした侮蔑行為をした、いったいどんな恐ろしい粛清が待ち受けているのか。アンドネにとって幸運だったのはヴァレンティンのお気に入りだった<ステアウア>のFWマリウス・ラカトシュが試合さながら快足をとばしてヴァレンティンに駆け寄り、必死に友人の非礼をわびた。結果アンドネは3試合の出場停止の信じられない軽い処分だった。以後国内でこの事件を語ることはタブーとなっていた。
それが、どんな権力者も終わりの時を迎える。1989年12月25日あの独裁政権が終焉を告げると、アンドネの逸話は「あの時代にあんな勇気のあるやつはいねえ」
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿