2009年1月21日水曜日

個人情報がないと・・



オバマ大統領の就任演説がどんなものか世界中が注目していました。徹夜で中継を見た人も多いことでしょう。
今回の院長日記の時代は個人情報についてはそれほど問題にしていなかったし、療養所内の出来事も相当な内部まで披露されていて公明正大で患者と院長の関係が手にとるように分かる。またこの院長もほとんど雑務におわれいる中で、回診のときが一番心が触れ合って充実していたということです。

折田君はある町の郵便局につとめていたが、もちろん今は退職している。それなのに、郵便局の昔の同僚は、今でも折田君のことをわすれずに、見舞いに来てくれる。折田君には身寄りがない。ベッドの枕元も質素である。
そして、折田君には腎臓結核がある。個室に寝たっきりで、最近熱がある。口数の少ない人でいつも回診のとき、だまって頭を下げる人であった。その5年も入院している折田君から感謝状をもらった。考えてみると、院長になってはじめてである。
感謝状は調子の明るい文章だった。自分の病気については触れていない。生命の不安など、まるでもっていないような文章である。私はこういう重症患者の心理が、どうしても理解できなかった。生命の不安を、自分で気づかない、無知の明るさではないか、と思うときもあった。だから、むしょうに死をおそれて、しがみついてくる患者の方にこそ、共感したときがあった。しかしマユを作る前のカイコのように、脱皮を重ねて透明になった
患者のいることにもみとめずにはいられなくなった。そんな患者たちは、いつも病室の片隅で、3年でも5年でもほこりをかぶるようにして、安静の身を横たえている。つつましく、微笑をたたれている。こういう患者たちを、若い結核医はまず気の毒に思い、それからどうにもならなく思い、そのうちあまり相手にしなくなる。もっと新しくて、簡単に治せる結核の方が、若い結核医にはおもしろいからである。
しかしもっと年がたってくると、病室の片隅から、つつましい微笑を送ってくる視線を無視できなくなる。まともにぶつかってみることもあるが、まるで刃がたたない。人間の比重の差であろうか。こわくもなってくる。あせることもある。だが相手は、全然あせらない。透明なのである。
「・・・・一面緑色の草の中に、白い色のにわとりが、赤いとさかをつけて歩いている」様は、実にきれいです。こんな小さな世界でも、自然は私たちの患者を楽しませてくれます。こうした中に、私たちは明るく静かな病室に、安心して毎日の療養ができますことは、病院の皆様の並々ならぬご努力と限りない愛情とによるものと、常に感謝いたしております。どこまでも人生を貴び、気長に療養して行きたいと思っております。・・・・」
美しい文章という」のではない。表現が、そのまま人を打つ文章でもない。突き抜けた単純と平凡が、死と接触している裏側をすき通してみせる手紙であった。

院長日記:島村喜久治:筑摩書房

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