2009年1月8日木曜日

アメリカの鏡②・日本



何時も思っていたのは第二次世界大戦になぜ無謀にも参戦したのかの謎解きの材料の一つになる、アメリカ側の公平な見方のように思えたからです。本からそのまま引用しています。

戦争を通じて、徐徐に明らかになってきたことは、私たち(米国)が戦っている目的について全体的合意がないことであった。この戦争は至る所におそろしい破壊をもたらした。憲章を制定し、国際関係を根本から組み替えるという当初の言葉は戦争が進むにつれてわすれられ「戦いに勝つ」という単純で安直なドクトリンに置き換えられた。この矮小化された目的は、日本の戦争機関を壊滅させたことで達成されはしたが、所詮は短期的な目的である。失った人命と財産を償うためには、この短期的目的を世界の非武装化、人類全体の幸福を含む幅広い長期計画の中に位置つける必要がある。しかし、そのための計画つくりは容易なことではない。しかし、そのための計画づくりは容易なことではない。戦争に必要なものすべてもっている国が平和を創造するのは戦争に勝つことよりむずかしい。私たち(米国)はこの戦争から得たものは、避けようとした結果だけだったことが分かってきた。枢軸国は本性から侵略的だと聞かされていた。彼らを捉えて罰しさえすれば、世界は平和になるはずだった。しかし彼らが壊滅したというのに、本当の平和はどこにもない。内戦と革命戦争がアジア全域と太平洋の島々で吹き荒れ、世界のいたるところで第二次世界大戦前夜と同じような不安と爆発の前兆が感じられる。私たちがパールハーバーの報復からどんな満足感を味わおうが、報復の繰り返しという歴史の挑戦を受けるのだ。報復の繰り返しはもうたくさんだ。報復はけして平和に至るものではない。ところがアメリカは平和のための計画を創出するのではなく、最高の科学者と技術者に20億ドルを注ぎこんで、恐ろしい兵器を作りだした。「恐怖からの解放」というスローガンを戦いの旗印にしてきた国が、誰も逃れられない死の恐怖を世界に持ち込んだのだ。

戦争における私たち(米国)の役割と平和への提言をはじめから考え直す必要があるだろう。それには日本は第一等の資料である。日本と私たちの関係を客観的に見直すことは、私たちがアメリカの外交政策を再検討する鏡となるだろう。

次のHPはこの著作とは別ですが、比較するととても興味深いものがあります。

日本占領研究者の訴えはイラク戦争は歴史を無視する戦争であるという検証の記録です。http://japan.indymedia.org/newswire/display/29/index.php

2はポーリー報告の概略内容;この「アメリカの鏡・日本」に書かれている部分からいうと、ポツダム宣言やすべての米国文書は断固として日本を「罰し・拘束する」といっていた。懲罰によって「野蛮な人間どもの戦争好きの性根を叩き直し、金輪際戦争できないようにする。そのために生きていくのがやっとの物だけを与え、あとはいっさい剥ぎとってしまおうというのだ。つまり、極めて広い範囲にわたって徹底的な締め付けと「改革」が進められるというのだった。改革には、日本を非武装化し、日本の資産と海外領土を没収し、エドイン・ポーリー賠償委員長がいう「輸出物資の量を最低限必需品の輸入が辛うじて賄える水準」にまで削減するという報告のようです。

ミアーズの『アメリカの鏡・日本』

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