2009年1月6日火曜日

アメリカの鏡・日本①



日本人の頭に詰まっているのは、脳ではなく、同じレコードを繰り返す蓄音器だった。日本の指導部は平気で万州と華北を侵略するつもりなのだ。根拠のない非難と、事実をねじ曲げたプロパガンダで国民を脅かし、ついてこさせてようとしているのだ。私はごく自然にそう思った。日本人は実に影響されやすい民族で、指導者が決めたことなら何でも黙って従うが、アメリカ国民は違う。そのときはそう思っていたのだ。ところが、アメリカに戻り、1938年からパールハーバーに至るアメリカの危機の日々と、その後の推移のなかで自分の国もまた同じ道をたどっていることを知ったのである。大統領が1939年に「制限的非常事態」を、ついで1941年5月28日には「無制限非常事態」を宣言した。国民はラジオ、新聞、演説にあおられ、パニック状態におちいった。乱暴にねじ曲げられた歴史記述が、当然の事実として受け入れらた。

訳者の伊藤延司さんのあとがきから引用させていただくと、かつてマッカーサーが日本での出版を禁じた本があり、それは著者の米国の女性歴史家ヘレン・ミアーズ※1が豊富な資料をもとにした詳細に描いた太平洋、沖縄における日本兵と民間人の死、大空襲と原爆による一般市民の死の惨めさをアジアの人々に強要した近代日本の運命が無性に悲しかったとあり。

ミアーズがこの『アメリカの鏡・日本』をかいた動機がいつまでも問われる「日本はなぜパールハーバーを攻撃したか」「なぜ無謀な戦争をしなければならなかったか」の疑問であある。答えは簡単で「日本は侵略者だった」からだというものではなく、果たしてそれほど単純なことなのか。ミアーズが描いた動機も同じ疑問である。この疑問は多くの日本人が戦後50年間、心のどこかで抱き続けてきたものではないだろうかと近代日本は西洋列強がつくり出した鏡であり、そこに映っているのは西洋自身の姿なのだ。つまりそれを裁こうとしている連合国の犯罪であるという。しかし、ミアーズは「合衆国政府は」とか「連合国は」というような三人称では批難してはいない。アメリカ合衆国、連合国、西洋列強を日本との関係で言い表すときは「私たち」という一人称をつかっている。ミアーズの「私たち」はアメリカという国家であり、アメリカ国民であり、あるいは欧米植民地主義国家であり、西洋文明であり、キリスト教社会である。そして、その総体としての西洋の価値観が、日本の伝統的価値観を完全破壊しようとしている。それが日本占領だ、とミアーズはいうのである。

1は著者略歴:1900年生まれ。1920年から日米が開戦する前まで二度にわたって中国と日本を訪れ、東洋学を研究。戦争中はミシガン大学、ノースウエスタン大学などで日本社会について講義していた。1946年に連合国最高司令官総司令部の諮問機関「労働政策11人委員会」のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定にたずさわった。1948年「アメリカの鏡・日本」を著す。1989年89歳で没した。

http://www.sam.hi-ho.ne.jp/s_suzuki/book_mirror.html#chosha

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