2009年1月12日月曜日

日本の音楽教育の側面


ネットでみつけたのですが、演題が「日本における音楽の在り方を、学校で習わない音楽から考える」ということでこれは面白そうだということで行ってきました。

なかにはやはり、分かりにくいところもあったので省くよりも※や?をつけたところがありますのでご容赦ください。

徳丸吉彦略歴:音楽学と美学は東京大学で、日本音楽と西洋音楽の実技はある程度個人的に学びました。国立音楽大学・お茶の水女子大学・放送大学での勤務ののち、現職。放送大学客員教授・お茶の水女子大学名誉教授。

放送大学東京多摩学習センター[西武線の一ツ橋駅:一ツ橋大学の国際センター]

開口一番に話されたことはこうだった。経済学者に、音楽について聞いてみると、教育面でいうと、歴史的にも一番成功しているのが、音楽界である。(但し西洋化の面で)世界中で活躍して指揮者やコンクールやブラスバンドをみても分かる」と。しかし何故日本の音楽教育に自国の音楽を教えなかったのかは明治維新で西洋崇拝でこれにに追いつけ主義からだった。今日は日本の音楽も教えることになったが、音楽の先生が、日本の音楽をしらないので、伝統的な音楽を教えるには、ボランティアで協力願っているそうです。

日本はいつから音にかかわっているかという研究を音楽考古学という。下記のようなまことに簡単な楽器でも結構多様な音が出せる。海外でも類似の石楽器があり、日本のも、けして孤立していないことが分かる。

【古代】

縄文時代:石笛(玄界灘の島で発見、形状ビール瓶の先が空いている。口笛みたいな・鳥が鳴くような音色で、管の突端の開閉と息の強弱で調節)、土笛(秋田県で発見、尺八のような音色)

弥生時代:陶けん(陶器でオカリナみたい)、銅鐸

中国や韓国から雅楽がわたってきている。この雅楽であるが、現在宮内庁だけにしかないようにおもわれているが、全国に30もある。宮内庁では晩餐会の演奏もあるので、雅楽と西洋音楽の両方やらなければならないそうです。外国人のために雅楽のままでで洋楽の演奏は可能であり、やれば外国人も喜ぶ筈なのに、それを勧めても、宮内庁は許さないそうです。

●学校での起立・礼が和音階であるかのように定着している?。

●民族音楽的教育をやっている沖縄の話である。加出納基地付近の学校では宮良長包(1883から1939)この人は滝連太郎と山田耕作の中間位の年代の人で1924年に作曲した郷土風な《えんどうの花の咲くころは》、サンシンでも演奏できて郷土的でありながら洋風にこなしている。沖縄での音楽教師の採用条件ではサンシンがひけることが条件になっているが、音楽教育をうけた人は10%、それ以外の普通学科を先専攻した人は50%がひけるという逆転状態がある。

●音楽の教科書にのっている音楽家は、日本でも名前がそれほど知られていない人でも一覧表にのっているのに、日本人でのっている人はたったの2人で、滝廉太郎と山田耕作だけで、教科書検定で出版社に文句をいったら、但し書きとして(西洋音楽の場合)といれられ論理的は筋が通っているのでそのまま出版された。

それぞれの国の民族音楽を教科書で教えていない国は少ない筈。

●お寺の梵鐘を楽器としてみないのは困る。西洋において教会の鐘を鳴らすのが難しいということでテープを流すこともある。鐘は単一であっても余韻とか、初心者ではその余韻を残すようなつき方は本来難しい。

●外国から異なった音楽に触れて、自国の音楽が変化を起こすことを「文化触変」といい、それが自分なりに十分にこなして新たな変化を起こすことを内発的変化という。

このような例に《春庭花》(しゅんでいか)は日本人による雅楽である。

宮城道雄の《春の海》1929年は箏と尺八の日本式の2つが同じ調べを引くのではなく、別べつにのパートっだたので国内では最初不評をかったが、同じ曲を来したフランスのヴァイオリン奏者シュメールが尺八パートをヴァイオリンが演奏したらこれは好評で、そのことがあってから、だんだんと理解された。

初代米川敏子(1913-2005)の《御羽車》貴人がのる御輿を意味した曲は、13本弦の箏と17本の箏(別の例であるが、ピアノ88弦に近い80弦まで増やした人もいるがこで演奏されたのは一回きりだった。)これは極めて独創的。ほとんど内発的であった。三味線も低い音を出すために大きくしようとしたが、2人で弦を抑える人、弾く人での分担が必要で限界があった。

●音色の組織化と音高の組織化(よく理解できなかった※)

最初の三味線の楽譜が印刷されたのは『糸竹初心集』1664年、一般に楽器の音を口で唱える唱歌(しょうが)。三味線の場合は口三味線がいえれば、キチンと曲がひけた。

歌舞伎に関係する長唄の序とその他の口三味線と音色の関係※

●日本例ではシラビックはそうらん節(手拍子がうてる)、メリスマは江差追分(手拍子が打てない)。宗教活動と音楽は不可分で、東大寺修二会(お水取り)。音楽が視覚や臭覚とも関係している例。練行衆。差懸(さしかけ)もうこの辺りから分からない。※この放送大学で、初心者に5線譜まで分かるように教えようという教科が07年にあったようです。

●モーツアルトについては、演奏されていない曲はないので、日本人はよく知っている。もう100年もかけているのだから。

大阪音楽大学の音楽博物館:http://www.daion.ac.jp/museum/enkaku/index.html

浜松市楽器博物館:http://www.obra-p.co.jp/eggs/0307/4_1_0307.html

武蔵野音楽大学:http://www.enjoytokyo.jp/OD003Detail.html?SPOT_ID=l_00022976

東洋音楽学会:http://wwwsoc.nii.ac.jp/tog/nishi/regular_2007_2008.html

徳丸吉彦の書籍:「音楽とはなにか。「事典 世界の音楽の本」。いずれも岩波書店。

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