2008年9月24日水曜日

日露戦争に投資した男


めっきり涼しくなり夜の虫の声はつんざくばざかりですね。最近明治のころの日露戦争時代に興味があり、一人でそういう本に手が伸びてしまいます。

日露戦争に投資した男:ユダヤ人銀行家の日記:田畑則重

日露協約交渉に赴いた親露派の路線の伊藤博文でさえも、日本案「満州および韓国」ロシア案は「満州およびその沿岸はすべて日本の権益外」としていた。

日本側は対露戦不可避と考え、開戦準備の時間稼ぎのために外交交渉を続けることにした。1904年には国交断絶を決めた。戦費の調達には日銀副総裁で横浜正金銀行[外為業務]の頭取でもある高橋是清は副頭取三崎亀之助に指示した。日清戦争の軍費から想定して日銀の正貨余力5千2百万円に不足する1億円の外債募集の必要があった。この戦費は1年で朝鮮から露軍を一掃する目的だけの目的で、もし鴨緑江の外に続くようだったらさらに戦費を追加せねばならない。ロンドンの銀行団からは5百万ポンド以上無理だいわれたが、NYのスパイヤー投資銀行のロンドン支店長アーサー・ヒルから紹介されたのはジェイコブ・シフだった。

金子堅太郎はハーバート大学の交友であった米国大統領のルーズベルトに、末松謙澄は英国でケンブリッジ時代の旧友の蔵相チェンバレン(日英同盟締結時の植民相の同名の長男)に起債と広報活動をした。ロシア公使館付きの明石元二郎大佐はスエーデンに移り、帝政ロシアに盛り上がってきた革命の機運に乗じて、さまざまな工作を展開した。フランスは対露西亜の最大の債権国だったが、ロシアの旅順陥落と[血の日曜日]が重なった時期に懸念を抱くようになっていた。14歳で渡米し、だまされて奴隷をさせられる契約などの苦労して苦学した経験をもつ高橋是清はジェイコブ・シフ(シフ家はユダヤ人の500年続いた歴史をもっていた。ロスチャイルド家と一軒の家を共有していた。)に出合うことになる。シフはドイツのフランクフルトで生まれたが、読書と旅が好きで、ヘブライ語の聖書の影響を受けることは大きく又経済と歴史に関する該博な知識は商社や銀行の修行しても思いはやまず18歳で渡米した。急激に発展していたNYで株式仲介業者の事務員で頭角をあらわし、20歳を機にバッジ・シフ商会の共同経営者になった。シフが成功したのは彼の能力と南北戦争後の好景気のおかげであった。その後シフが入ったクーン・ローブ商会は国債とのちには鉄道債券を取り扱う業務をなし、欧州のマネーを米国の交通網や産業に投資し、米国近代産業国家への歩みと歩調をあわせるように成長した。シフは極東の商機を探り続けていた。シフはロシアとルーマニアでのユダヤ人迫害にたいして米国政府が公式に抗議するように嘆願していた。ルーズベルトもユダヤ票を獲得するためにシフの意見に耳を傾けた。SF作家の星新一の父(星製薬)が「明治・父・アメリカ」でいっているのは米国社会は独立心をもつばかりでなく、他人の独立心を尊重し、手助けしようとするし、現実にそれが起こりうるのであると。 続く

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