2008年9月12日金曜日

富山のチューリップ


コスモスが勢いをましています。好きな色はピンクや白で背が高いので、風に揺れていますが、それがいいですね。

チューリップはトルコ原産で→ウイーン→オランダ→幕末日本に。富山県はオランダと直接の関係ないが、新潟県の方が技術も規模も先輩格であった。

富山県の場合は、チューリップの父と言われる砺波市の水野豊造が努力された。ある日朝市でチューリップの切り花を売っていたが、畑を掘り返していると、植え付けた球よりりっぱな球根がゴロゴロと育っていた。ためしに富山市の種苗商にもっていくと一球四銭でうれた。この年は大正7年、米騒動の年だった。大正12年より本格的な栽培を始めた。富山のチューリップは水田の裏作として考えた。雪国なので春の田植えまで休耕しなければならないのでどうしたらよいか。普通なら雪の下で秋に収穫したものを貯蔵することしかできない。

しかし雪に埋もれた富山はチューリップの球根にとってまったく快適であった。この花は低温期が長くなければならず、さりとて凍ってもいけない。湿度も必要で、霜柱の立つような関東平野などは不向き。オランダの場合は凍らぬようにヨシをかけたりするが富山は雪が一切守ってくれる。

もうひとつ、オランダでは砂地で栽培されているのは本来水田に向いていない。だが富山県の場合は水はけの良すぎる砂利土、いわゆる「ザル田」であった。オランダのような運河を調節する訳にはいかないが、縦横に張り巡らされた用排水路と豊富な水があった。

水の旅:富山和子:文春文庫

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