2008年9月5日金曜日

恋の隠し方


昨日は運転免許の書き換えでした。聴覚障害のある人でも条件つきで蝶マークを付けて走れるそうです。

恋の隠し方(兼好と「徒然草」)光田和伸:青草書房
韓国の諺に「恋と貧乏は隠せない」これは両方共どうしても外に出てしまうものだということです。しかし「徒然草」は自伝的な恋の告白で人に気つかれないように丸ごと封じ込めた完成度の高い物語なのだという。

東人の心がいかに都人と違うか、どんなに遠いかを徒然草が力説しているそうです。東人の言葉が率直に事実を伝えるということが信じられている世界だという。
「ぶぶ漬けでもどうどす?」→「一家の女主人はお茶漬けを食べていけといっている」の訳ではなく、もうそろそろお昼ですから自分の食事の支度をしなければならないので帰ってくれませんかということです。どんなに暇であっても「もうお昼で、私食事の支度をしますから帰ってください」ともいえず。しかし徒然草では後者のようにかなりそういうはっきりした言い方をしているそうです。この「徒然草」はいちおう隠者の書いた無常観ということになっている。そういう思い込みがどうしてもある。しかしはっきりした物言いで、恋物語も書かれているとのことです。しかも自分のことではないような隠し方だというのです。

ここではその一端の紹介です。

次の最後の105段(他には29,30,31,32,36,37,104、にもあるそうです)


北の屋陰に消え残りたる雪の、いたう凍りたるに、さし寄せたる車の轅(ながえ)も、霜いたくきらめきて、有明の月、さやかなれども、隈なくはあらぬに、人離れなる御堂の廊に、なみなみにはあらずと見ゆる男、女となげしに尻かけて、物語るさまこそ、何事にかあらん、尽きすまじけれ。
かぶし・かたちなどいとよしと見えて、えもいはぬ匂いのさと薫りたるこそ、をかしけれ。けはひなど、はつれはつれ聞こえたるも、ゆかし。

深夜から夜明けにかけて、雪が降り積もっているなか誰もやってこない場所・仏様を安置しているところで、ちょっといい男といい女が「なげしに尻かけて」並んでいる。のりつけた牛車の樫の木の柄には霜が降りて真白であると書いていますが、明らかに誰も来ない建物のハズレで男女が腰をかけてうれしそうにいつまでも話をしている。これは兼好とその恋人のことで、こんな状況描写は自分で体験しない限り表現できない。
これは男が女の部屋に行くはずだが、こういう誰もこないところで逢引は恋のごく最初のころであろうと想像できるそうです。吉田兼好は生涯独身で、30歳代に出家していますね。

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