2008年9月9日火曜日

義眼


近所の農家ではまだ小さいですが栗を売りだしています。そして庭にはキャベツの苗を植えていました。農家の方は休む暇がないようです。

パラリンピックが始まっていますね。弓の仲間で、私は左が義眼なのといわれていましたが、言われないとわかりませんでした。問わず語りに皆に状況を話してくれました。敢て年齢は申し上げませんが女性です。

この文を書くにあたって「ギガン」は偽眼かなと思いながら、やはり違う字だなと思いました。辞書でたしかめたら「義」のほうでした。正義の義だから正しい意味のほうで、あえて当て字かなとおもいました。義母とはいうものの、偽母とはいいませんので「義」は仮という意味でした。何気なくつかっていて正確に字を書けないものですね。

義眼は片目ですから距離感が弱いので的に当てにくいわけですが、弓の標準弓の右側に矢をツガエルので右目の場合はまだ射撃しやすい。左目の場合は想定している「的」に射こむことになります。

左に弓でなく、右に弓を持てばやりやすいかもしれませんが、そういう射法はありません。

義眼の不自由な点は片目に眼帯したときに感じる段差への不安や義眼の方の死角で顔をぶつけることがあるそうです。義眼でも磁石があって両目を動かす方法もあるんだそうです。

しかしもう20年も前からそういう義眼はやめたそうです。というのは義眼がだんだん眼底の方に落ち込んでしまうので、取り換える必要があるそうです。そうすると落ち込んだ分だけ出を大きくする必要があるので煩わしいということでした。

20歳代のときに結核で目に出血があって一時は目が見えるほうも視力0.05までになって

死にたい気持ちになったが、お医者さんが一つの目でも大事に使えば大丈夫といわれたので気持ちを持ちなおし1.5までに戻ったそうです。何故一時的にでも0.05まで落ちんだかはよく分からなかったそうですが、心理的に参ったからでしょうか。

今は亡きご主人がいいますには、毎年の誕生日近くなると、メガネをかったらと。明るく淡々と話してくれました。

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