昨日は同級会で常磐ハワイアンセンターに行っての立ち寄りで太平洋の見える高台の勿来の関(福島県太平洋側北端いわき市)
に行ってきました。
勿来の関は奈良時代の養老2年(718年)蝦夷の南下を防ぐ目的で」砦として作られた。福島県の
白河と山形県念珠の関も同様です。平安時代弘仁2年(811年)になると朝廷の勢力範囲も北方
に広がったため必要がなくなったのと京都―石岡(常陸の国府)―白河―多賀城(陸奥の国府)
に一本化されたものによる。
勿来関は、平安時代の武将源義家※の「吹風をなこその関とおも へども道も背に散る山桜かな」の和歌をはじめ、紀貫之、小野小町、 和泉式部、西行法師など、おなじみの歌人も和歌に詠んだ有名な 歌枕です。※は清和源氏の流れで頼朝の4代前の人で八幡太郎 といい、この時代は和歌も楽しむ勇者だった。 |
江戸時代には、水戸と磐城、相馬、仙台をつなぐ浜街道に沿っ ていくつかの宿場があり、勿来町にも関田宿という宿場町が形成 されていました。 |
飛鳥井雅宣、西山宗因、徳川光圀、吉田松陰が、この勿来関 への想いをそれぞれの胸に風光明媚な当地を訪れています。 |
近代には、源義家の歌碑や、芭蕉の句碑が建てられ、斎藤茂吉、山口茂吉、徳富蘆花、角川源義、中里介山などが当地を文学作品に残しています。 |
以上は勿来関文化歴史館より
http://www.iwakicity-park.or.jp/bungakurekishikan/nakosonoseki.html
写真は左関東の宮といわれ奥州と関東の境の守り神、右上段は関(砦)のイメージ、右下段は関所のガイドで見えにくいが源義家の銅像も見える。
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