2009年5月9日土曜日

林望さんの源氏物語


1時間半の講義で源氏物語を語ろうということ自体どだい無理があるわけですが、先生の方も不完全燃焼のようでした。
林望先生も秋には源氏物語の注釈本を出す予定だそうです。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期を舞台にして、天皇の皇子として生まれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏が 数多の恋愛遍歴をくりひろげながら人臣最高の栄誉を極め(第1部)、晩年にさしかかって愛情生活の破綻による無常を覚えるさままでを描く(第2部)。さら に老年の光源氏をとりまく子女の恋愛模様や(同じく第2部)、或いは源氏死後の孫たちの恋(第3部)がつづられ、長篇恋愛小説として間然とするところのな い首尾を整えている。
今回は箒木と空蝉のところであった。女房という仕事は貴族の教育係りの役割。和歌を詠めるというのは最高の教養だった。物語にも登場する和歌を集める行為は民族のDNAがしからしめるところ。恋の仕方にも貴族のルールがある。当時貞操観念はかなり希薄であった。この物語は書籍がない時代なので中心は、作者(物語を読む・語る人)、読者(聴く人)の間で相互作用で随分長い時間をかけて出来上がったものだろうという。その過程で途中性格が変わっているところもあるし、矛盾もある。
しかし淀みなく、読んでいる文章をきいている意味は相変わらず分かりずらいのですが、リズムはとても心地よいものでした。
 高位の人にせまられても、まず「お人違いではないですか」との拒否から始まる。空蝉は中流の上の出であるが、中流の下のところの後妻であった。方違へによって紀伊のところに寄った、そこで紀伊(光源氏との関係がよくわからない)の父である伊予介がお風呂にいっている間に、チョッカイを出そうという物語だそうです。紀伊は高位の光源氏にそのような振る舞いはよしてくださいの制御もできない立場であったそうです。空蝉は、今の境遇や体は相当に小柄で、何事も引け目を感じるような性格でありながら、言い寄られたことに、拒否しながら、内心は満更という以上の嬉しさがある。結局は拒否になっているので、光源氏は、何とかして関係を持ちたいという気持ちが残留した。
そうしたやり取りで、お互いにうまくいかず、空蝉の夫の任地着任で都を下る。そのときに、空蝉は想わせぶりな手紙を出す。
結局はこの空蝉の章は描写が臨場感あふれていて、こういう表現は紫式部自身の物語ではないかとと思われる節もあるそうです。のちのち都に帰ってきて、空蝉の主人がなくなってから、光源氏の屋敷内に住まっていたような推理をされていた。
このように解説がないと、とくに貴族社会のことは分かりずらい。いずれにせよ。源氏物語がどうして出来たかという諸説があってこれの推理を読むだけでも楽しそうでもあり、日本文学の源流のようですね。またこれによって他の著者が空蝉についてどのようなことを書いているかがこれからの楽しみです。

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