2009年5月18日月曜日

アンネの日記最終


毎日天気が乱高下です。ちゃっと冬服を整理したら、20度、今日は27度だそうです。体調の維持が大変ですね。

アンネの日記は1944年8月1日まで書かれていて
8月4日には午前10時頃アムステルダムのプリンセンフラハト263番地にナチス親衛隊の車がとまり、8人のユダヤ人とそれを手助けしたクーレル、クレイマンが連行され、ミーブとベップの女性は逮捕を免れた。このときミーブが放り投げられていたアンネの日記を拾い、のち父に渡した。
アンネはリューネンブルガー・ハイデにあったベルゲン=ベルゼン強制収容所に送られ、ここは衛生状態が極度にわるく、チフスの大流行によってアンネ姉妹も1945年の2月末か3月初めに死亡したと伝えれている。この収容所が英軍の手によって解放されたのは姉妹の死からわずか1カ月余り後だった。
母はアウシュビツで1月6日飢餓と疲労のため死去。
父は母と同じアウシュビッツに収容されていたが、ソ連軍に解放され1945年6月3日にアムステルダムに帰ってきた。のち同収容所の生き残りの夫人と再婚し、スイスのバーゼルの郊外で1980年8月19日に逝去。死ぬまでアンネの日記を大事に保管していた。
どんどん引き込まれ、読了したあとでも、アンネが何か語りかけてくるような気持ちになります。アンネの日記:完全版、深町眞理子訳(訳本という感じは全くない本でした)

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