2009年5月30日土曜日

うねりはサポーターから


おはようございます。スポーツの内でも国際試合などをみて思うのは親が子供の運動会を見ているようなところがあって、試合の結果とかよりもハラハラどきどきを感じて冷静にみることを忘れてしまいます。

サッカーの場合、エンターテイメントを見て「お金を払うからそれなりのものを見せてよ」という人達がファンで、サポーターはそうではなくて、自分たちのチームに「ホーム」に強い愛着をもっていて、一緒に戦い、悲しみ、喜ぶものだという前提があります。この点サッカーは他のプロスポーツと違うということがあるのだと思います。観客が皆ファンばっかりだったら「ホーム」の威圧感といったものはないという。あの場内をめぐるウエーブなどを見るとそう感じますね。テレビでみてもそれがウネリとなって聞こえてきますね。
ちょっと前までは人間は、何をやっても適当に生きてゆける。こうなるとただ生きているという家畜どうようの状態になっている。徹夜してならぶのも自分の居場所を確かめるためなのだ。イタリアの場合、試合中はみんなテレビを見ていて、勝った瞬間、一斉に家を出てドーモの前に行く。日本ではそういう広場がないので、スタジアムのスクリーンでも応援するしかない。それでもこれほどの応援もきっと頼もしくなるでしょうね。

問う力、長田弘連続対談(岡田武史部分)みすず書房

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