2009年5月16日土曜日

アンネの日記③


昨日の空も天高く澄み切っていました。花屋には鉢に網をまいた、大ぶりの白いアジサイが見事でした。ああもう夏が近いのだとも思いました。

アンネの隠れ家の困難さといえば、人の気配を消すことだけだった。ここを出られなくなっているので、中の人は、はけ口がないので、同居人がうっとうしくなり、どうしてもちょっとしたことでも、角つきあわせたり。物資が不足している時代でを反映し泥棒が階下にきても、こちらの存在を出きない訳で、追い払うことができないもどかしさ、冬の寒い時期、夜の暖房の煙は人の存在をあらわすため使用不可、窓からの灯りが漏れる怖さ、周囲から皆見張られているのではないかという張りつめた神経、資金が底をつき闇の食料調達の困難さ、排水管のつまりを直すむずかしさ、修理作業の人に悟られないようにする、新鮮野菜もほとんどない、オランダの英国軍上陸の一日も早いことへの期待とそのジリジリした遅れ。援助者宅の警察による捜索後の影響の極度なる不安。病気になっても医者にかかれない。猛署でもけして窓の隙間さえもあけられない。ほとんどは我慢の縛りだけしかないかにみえる。
それでも息がつける瞬間といえば、誕生日のお祝品の交換は懸命に努力しますし、ラジオや援助者からの外部情報を聞く楽しさと羨み、異性者との語らいと肩をよせあうときめき、いつもなら感じない・当たり前でもある澄み切った紺碧の空、鳥たちの歌声、月光や花々にも鎮静効果があるようです。
「わたしはたびたび自問自答してみるのですが、じつのところわたしたちは、ここで潜行生活を始めたりしなかったほうがよかったんだじゃないでしょうか。そうしなかったがため、いまごろはもう死んでいたとしても、そのときはこういうみじめさを味わずにすんだはずですし、とりわけ、ほかの人たちまでも危険に巻き込むことはなかったでしょう。とはいえ、その先を考えると、やっぱり身がすくみます。というのも、まだ人生を愛していますし、自然の声を忘れてのいませんから私たちは今なお希望を---何事につけても希望を忘れていないのです。ああ、なんでもいいから、近いうちに何か変化が起きてくれますように、やむを得なければ、撃ち合いだってかまいません。なにが気を滅入らせると言って、この宙ぶらりんの状態ほど、くさくさするものはありませんから。たとえつらい終わりかたでもいい。そうなればせめて、はたしてわたしたちが最後に勝利をかちとるものなのか。其れとも一敗地にまみれるのか、それがはっきりするでしょう。」
      それが英軍がシェルブールに上陸し、ドイツの将軍5人が戦死、ふたりが捕虜というニュースや失敗したものの、ヒトラー暗殺が行われて、ドイツも崩壊間近をしると、もう気持ちは明るくなるのでした。そのような不安定な状態だった。

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