2009年5月21日木曜日

現代の児童文学


おはようございます。また暑い日でしたね。今年はビールの売れ行きが良くなるかもしれませんね。
武蔵野の記憶と現在:「武蔵野で遊ぶ子供たち」武蔵野大・宮川健郎
ノンちゃんの前は、児童文学に東京が登場することはなく、宮沢賢治のように自分故郷の自然の豊かさをうたいあげていた。
石井桃子「ノンちゃん雲にのる」1947年の作品は四谷で生まれたノンちゃんのお父さんは、子供の健康を大切に考えて、勤め先から1時間35分もかかる武蔵野の郊外(三鷹)に居を構える。住んでいた四谷の市中にはない新しい価値は郊外にある。「山の手文化」を郊外での生活に継承したことになる。「小市民のささやかな幸福」が夢見られ、生まれ、壊され、そしてまた新たに夢見られと、夢と死の再生が繰り返される場所だった。

その後の特徴的なことを上げれば、1960年代は山本有三の「路傍の石」(けして子供向けの童話ではない)は、子供がいろんな困難を乗り越えてゆく物語で、いろんな出版されて童話全集にほとんどのっていた。
この山本有三は就学前の子供にせがまれ、カバンを買ってやったが、その中に尋常1年の国語読本もいれてやったが、子供がその本には見向きもしなかったのは、ネズミ色の粗悪な紙、内容も子供が親しめるものでないのが分かった。そこで児童図書の環境作りに精をだすことに。地域の子供らに自宅を開放してそのご各地で行われる文庫の場を提供したり、文章も有三が劇作家でもあったので、耳から入りやすい、振り仮名もない平明なものにしようとしたし、児童雑誌「銀河」新潮社などに尽力した。とにかく頑張ればなんとかできる安心感をうたっていた。

現代の児童文学はどうなっているかというと、全部ではないにしろ、
いとうひろしの「おさる」シリーズは、おさるの子供たちが、朝起きてまずおしっこをする、ご飯を食べる、蛙投げで遊ぶ、夕めしを食べる。そして寝る。毎日そういう繰り返しであるが、年に一度、自分のおじいさんの倍も長生きの亀オジイサンがきて世界中の話をしてくれる。やっと砂浜についた亀は疲れて、ひたすら寝てばかり。何事もゆったりと時はながれることが、ごく当たり前のように表現されている。
その亀ジイサンの話はこうだった。3ページに分割されて表現されている大きな船に出会いぶつかって、額に大きなコブをつくった。もうそのコブは引っ込んでない。それだけの話をして彼方へ行ってしまった。そういうようなシリーズ。これはセカセカそんなに急がなくてもいいじゃないかの思想だそうです。
もうひとつは寺村輝夫の「ぼくはおうさま」では、王様がパーティをやるので、できるだけ大きな卵、象の卵を探してこいとの命令は、象は卵を産まないということが分かった失敗談、そのような繰り返しの失敗談だそうです。

それゆけ「ガンバレ」でなく「ゆっくり」精神の表現も忙し過ぎる時代の反作用でしょうか。
児童文化財(まんが、アニメ、絵本、おもちゃ、ゲーム、児童文学)のそれぞれの作家の間の交流はないそうで、なぜそうなのかは質問しても残念ながら答えは得られなかった。

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