2009年5月4日月曜日

黙っていられるか?


今日の題名はよんだら黙っていられなくなってしまいましたので転記してみました。


小川:最初から適切なものをパッとクライアントの希望することが分かって選択して供給できる、という訳にはいかず、やはり無駄と思えるような迷いの時が必要になってくるんでしょうね。しかしいずれにしても、治すために不可欠なてがかりは患者さんの話の中にあると思うんですが、しゃべらない人っていうのはいないんですか。沈黙してしまう人。

河合:います、います。それが面白いんですけど、中学生や高校生はしゃべらないじゃなくて、しゃべれないんです。

小川:言葉がない。

河合:ないんです。大人はごまかしてしゃべれる。ちょっと間が悪いなと思ったら「いや、曇っていますな」といえばいい、話を続けられるんです。ところが中学生や高校生はそんなこと絶対言いたくないわけです。一番これが言いたいっていうことだけを言いたい。
こちらが「お父さんは?」「別に」って取りつくしまがない。これは拒否しているのでもなく言えないのです。

小川:いいたいのだけれどどう言ったらいいのかわからない。

河合:そんな時、お父さん、こんなこといううだろうなとか、
何とか話させようとすると、もう一遍にこちらが嫌いになるんです。

小川:呼び水を与える、ということですね。

河合:呼び水のつもりでも、お父さんなんてそもそも言葉を超えた存在なのに、何もわかっていないくせに、と、腹をたててますますしゃべれなくなります。

小川:質問する側が納得したくて、何か言ってしまう。

河合:そう質問する側が勝手に物語を作ってしまうんです。下手な人ほどそうです。
「三日前から学校行ってません」て言うと、「3日か。少しだね。頑張ればいけるね」とか。これから百年休むつもりかもわからないのにね。

小川:「もうすこし頑張れば行ける」という、こっちの望む物語を言ってしまう訳ですね。

河合:相手を置き去りして了解するんです。相談にきた子は自分の世界と違うことが起こっているから、増すます無口になります。それで最後に「まあ、頑張りなさい」で終わり。

小川:納得した格好のしたのは相談された側。

河合:そうそう勝手に降りてしまう。それとは別の経験は、「どうですか」言うても、下向いて、それでも黙っている。それで僕は「いやあ、高校一年生ねえ」ってもうお互いに分かっていることを言ったんです。

小川:ジェスチャーも交えながら

河合:ええ、それで普通は「いやあ、高校ねぇ」ってのってくるんです。向こうが言い終わるまで待つ。それで、向こうから何か言いだしたらこちらもまた乗れるわけです。ところがその子はなかなかそれ以上は言われへんのです。
そいう時に例えば、「おとうさんの職業は」言うたら、こちらが向こうの世界から出てしまうことになるわけでしょう。「高校1年生ねぇ」言うたら「いやぁ、高校ね」とその子はいいました。物は言うてんのやけど意味ないけど、その子の世界にまだいる。

小川:この場合、意味のあることをやりとするのが重要ではなく、その子のいる世界の内側にいることが大切になっているんですね。

河合:黙ってままいられたら、カウンセリングは一時間で終わりです。よっぽどの人でないかぎり、黙ったまま1分もいられないんです。黙っている間に「今日は昼飯はきつねにしようかな」なんて、心がヨソに行っているとしたら、これは絶対ダメなんです。

小川:患者さんはそれを感じとることができるんですか。

河合:心がそこに黙っていられるのだったら、なんぼ黙っていてもいいんです。ところがいらついたり、心が余所にいきかけたら、やっぱり何か言わなくてはいけない。ものをいったらそこにいられるわけです。
そういうときに、いうのが「いやぁ、高校一年生ねぇ」です。その人の世界から出ない。そうしているうちに普通はだたい乗ってくる「うーん、とりあぇずね」っていってくるともうしめたものです。

小川:その一言で。

河合:そうしたら「アホやなぁ」とか続くでしょ。だけどその子はそこから全然乗らない。50分過ぎたころには、「負けた。僕より偉大なやつが来た」と思いました。
 ところが「今日はあまり話できんかったけど来週来る?」といったらニコーッとして「はい」というんですよ。
その後母親から電話がかかってきて「いつも憂鬱な顔しているのに、ちょっと明るい顔して帰って来た。「高校生の気持ちをあそこまで理解している人はいない」というたそうです。
だって僕のことは彼のことを何も理解していない。正確にいうなら「あそこまで高校生の気持ちを大事にする人はいない」っていうことでしょうね。

小川:彼にとって言葉よりも沈黙の方が心地よかったんですね。その沈黙のなかで、目の前の先生がどの位信用できる人か、見極めようとしていたのかもしれません。

河合:それでいろいろ話出した時に、「3年分位話しました」との感想だった。

小川洋子・河合隼雄の対談:「生きるとは自分の物語をつくること」

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