2009年3月18日水曜日
タイの国のお話③最終回
おはようございます。女子高校の傍を通ったらいつもの歩道の反対を歩いている。別に大きな講堂の卒業式に向かっているのでした。
今日の友人の句は北海道生まれなので、冬景色も実感がこもっています。
地吹雪や 馬の鼻面 膨らめり
本題はで、雪国とは違うタイの国の出来事の続きです。
筆者はカンティアの故郷、はるばる北端のミヤンマーとの国境にちかいところにいる母親を訪ねた。しかしカンティア14.5歳であることが分かっただけで、行方の手がかりは何もなかった.
姉を頼ってバンコックにきたものの、訪ねた住所には彼女はいなかった。やがて路上で物売りの手伝いをするようになった。物売りの人たちも貧しかった。みんなはお金持ちになろうと思ったら、
日本製品みたいな高価なものを売らねば儲からないと話していた。あとは路上の物売りの大人たちと話しているとき、誰かが冗談で「おまえは北の方からきて色が白いから、日本人みたいに
見える」と言われた。その時から日本人になりたいと思った。それもただの日本人ではなく、日本大使の娘だといえばより大切にしてくれた。
歌謡曲やアイドルのことばかり書いているタイの国の週刊誌には、日本語の学習ページもある。それを読んでカタコトの日本語ができるように勉強した。又ラムカーン大学の図書館にもぐり
日本について書いた本も読んだ。あのフェアマークスタジアムの管理人と立ち話したとき、言ってみた「私は日本人で、日本大使の娘です」と。こういう話を聞かされた大学生は、
「さびしかった」といっていたので「カンボジヤ大使の娘とか、インドの大使の娘と言われたら、きっと僕らは関心を持たなかった。又関心も示さなければ騙されることもなかった。
それはやっぱり日本だからですよと彼らは微妙な答えをした
【エピローグ】
姉のところにもう一度訪ねたときに、ユウコと会ったことがある姉の元恋人はカンティアが日系のデパートのある東京のファッションをコピーを売っているブティックの一角で働いていた
話を聞き込んだ.くまなく歩けば、いるかいないかだけでも分かると思いいってみた。幸いにも見つけることが出来て、話を聞くことができた。「たくさん知る必要はなかったよ。
だってタイはどこに行っても、日本製品があふれているのに、誰も日本や日本人について知らないんだから」だますのは簡単?「だんだんわかってきたの」何が?「どうすればだませるかがね」
どうすればよかった?
「私が威張っていえばよかったの。『たいはこのままでは駄目だ、タイ人は一生懸命働いていない。日本を見習え』って強く言えば言うほど、私のことを信用するの。
そのときは何でもできるような気分になったが窓の下を見る彼女の姿は目を細め、煮え立つような街を眺める顔に、外からの照り返しが当たっている。それはユウコではなく、たしかに
タイの少女の顔だった。この話も今のタイの国の出来事ではなく、昔のことと付け加えたほうがいいと思います。
日本人ごっこ:吉岡忍著より
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