2009年3月5日木曜日

幕末の状況


昨日は弓道でしたが、どんよりした空で、外気にさらされ、厚いシャツとセーターだけでは肌寒く、芯まで冷えて弓自体も固く骨折りました。電気ストーブにすぐ戻るあり様でした。

古郷や餅につき込む春の雪     寺井 谷子

福翁自伝を読むとあのころの日本人は競争を好まないで、幕府公認とか、過激な競争はなかったのでしょうか。奉行所の役人も少なく、自治がうまく作用していたのかもしれません。それが外国勢がきて難局をよく乗り切ったものだと思います。しかし幕府の中枢の具合はかきの如しでした。

大蔵省の重要な職についている人に、チェンバーの経済論のことを語ると、どうか目録だけでもいいから是非見たいと所望された。さっそくコンペチション(competition)という原語に出会い、いろいろ考えた末に競争という訳になった。その人はこれを見てしきりに感心していたようだが、「イヤここに争いという字がある。どうもこれは穏やかでない、どんなことであるか」「日本の商人もしているとおり、隣で物を安くしよう、互いに競い合って、ソレでもちゃんと物価も定まれば、金利もきまる。これを名付けて競争というのでござる」「なるほどそうか、西洋の流儀はキツイものだね」「何もキツイことはない、ソレですべて商売世界の大本がきまるのである」「なるほど、そういえばわからないことはないが、何分ドウモ争いという文字が穏やかならぬ。これはドウモ老中方へご覧にいれることが出来ない」と妙なことになったそうです。

0 件のコメント: