2009年3月16日月曜日

タイの国のお話①


おはようございます。今はきらっとシニア倶楽部で「シニアかわら版・西東京」という新聞を月刊で発行して3号、これは2年目の市の提案事業の継続承認で、来年度も
申請してコンペに応募しようというための打ち合わせでした。次は「多摩検定」のための講習会とこの新聞をリンクさせようという提案にしようと思います。

戦後日本の家電メーカーのなかで初めて外国に駐在員を派遣したのは、1957年(昭和32年)で松下電器だった。駐在員事務所を置いたののはタイのバンコックだった。トランジスターラジオの発売はそのちょっと前の1955年(昭和30年)だった。そのころタイで売られていた扇風機やラジオのおおくはアメリカやヨーロッパの製品だった。当時の日本製品は欧米の製品にくらべ、格段に安かった。しかし性能や品質やデザインは相当に見劣りするものだった。日本の家電メーカーは欧米製品のサンプルを買うお金さえなかったので、スケッチした情報を日本に送っていた。こうしてわずか2・3年で欧米の製品を締め出してしまった。一にはこの市場は欧米でそれほど魅力的な市場とは思われていなかったのも幸いしている。
   そのタイはミヤンマー、ラオス、カンボジャに国境を接していて、バンコックで捌ききれない製品はタイ人が売る限り、タイ国外へ流出しても問題がなく、ベトナム戦争の米兵らの休養地であったバンコクで購入した家電製品を持ち帰ったことで、優秀な品質となっていた日本家電製品
は世界に認められるキッカケを掴んだそうです。
日本人ごっこ:吉岡忍著より

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