2009年3月4日水曜日

国が違えば


国が違うと考え方が違うものだなと思います。当たり前なことが当たり前でないことも多々あるようです。


法政大学教授 王敏さんはいいます。

私は民話「鶴の恩返し」を中国語に翻訳して出版しました。その時
訳しながら不思議に思ったことがあった。鶴が自分の羽を一本ずつ抜きながら織っているところを夫にのぞき見されて、約束を守らなかったことを怒ってよいはずですが、夫のもとから静かに去ってとんで行きました。普通だと、この普通というのは中国的な生活文化環境を申し上げています。中国では黙って去っていくことはないんですね。まず議論して大喧嘩して(笑い)、それから去っていくのが普通だと思います。このあたりを西洋人にも聞きました。そして韓国人、いろんな国の人に、聴きました。みんな黙って去っていくことはあり得ないというわけなんですね。日本では、これは昔の話だけではなくて、例えば現実の生活のなかにもあることなんですね。違う意見にたいして、余り論争しないでだまっている。これは日本的な、もしかしたら独特な表現形式かもしれません。
伝統文化:平成20年・陽春:NO27パネルディスカッション:法政大学教授 王敏(中国・河北省承徳市出身。専攻は比較文化論・宮沢賢治を切り口の日本研究)

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