2009年3月10日火曜日
縄文遺跡
おはようござます。春の花は梅以外はほとんど黄色です。ミモザも福寿草、蝋梅、菜の花も、黄色はまだ少ない虫を呼ぶには強い色なのでしょうか?
3/7は西東京市と練馬区にまたがっている下野谷遺跡(西東京側)、の富士見池遺跡群(練馬区側)のうち西東京市側の部分で第20次調査の途中経過の説明会が行われた。ここでは環状集落というドーナツ型の縄文時代の中期、4000年から5000年前の遺跡の説明会であった。現地の雑木林の部分で地主の好意で発掘時間の猶予を提供された故だそうです。ここの環状集落は2つあって双環状集落があるのは関東地方でも極めて珍しいケースだそうです。この東伏見の台地は石神井川沿いに形成されている。これまでに500軒近い家のあとが見つかっています。隣の小平市の鈴木小学校の鈴木遺跡付近から発生し、ゴルフ場・小金井カントリークラブ横を通過している石神井川流域に数多く見つかっている遺跡の中心となるようなムラが、約1000年にわたってあったことがわかるそうです。500軒といっても1000年の間であるので、同一時代ではわずか6軒程度の立て直しの累計が500軒というわけなのだそうですが、これでも大規模なものだそうです。1000年も続いたというのもわれわれの生きている時代を想定しても凄いことには間違いありません。
下野谷遺跡では弓矢も縄文時代の発明品、食べ物はどんぐり、これは土器の発明によって「アク」を抜くことができるようになったことで、食糧確保が安定されて、定住できる端緒にもなったそうです。矢の先には長野県、や伊豆の島などでとれる黒曜石なども使われています。犬も飼い始めていたそうです。土器も信州地方のものに似た模様の土器がみつかっていて、人々の交流がうかがえるそうです。
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