毎日新聞のもう終了した「しあわせのトンボ」という一節です。
ある女性が介護の施設で働き始めた。
事情があった。夫が浮気して家を出た。後日、「離婚してくれ」と何度も電話がかかってきた。
2人の間には小さい子が1人いる。夫は子どもの養育費も送ってこない。
彼女にも意地があった。あんな勝手な夫の言うことなど、聞いてやるものか。そう言い聞かせて、黙々と働いた。
施設での仕事は、介護士のお手伝いだった。おじいさんやおばあさんのおむつの取り換えも、彼女は率先して引き受けた。
寝たきりのお年寄りを抱きかかえてベッドから車椅子へ、また車椅子からベッドへと移動させる仕事も、かなりの力がいった。
生半可な気持ちではこなせない厳しい毎日だった。
そんなある日、彼女は自分の中から夫へのこだわりがウソのように消えているのに気付いた。そしてその夜、帰宅するや夫から送られていた離婚届に判を押した。
その時の心境について、彼女は親しい友人にこう話したという。
「施設で毎日仕事をしているうちに、何か意地を張っている自分がバカらしくなってきたのよ」
その話を聞いて、ぼくは彼女の心境の変化がなんとなくわかる気がした。
おそらく彼女はおじいさんやおばあさんの世話をしながら、生きていくとはどういうことか、身をもって実感したのと一緒に、実のない夫に執着することの無意味さも実感できたのだろう。 彼女は友人にこう言って、小さく笑ったという。 「人生をやり直すわ。新しく」
話は変わるが、先日ぼくは大病を患う友人のお母さんを見舞った。 病院から帰宅を許された折にお訪ねして、近所のコーヒー店にご一緒できた。
小一時間、雑談を交わして、「お疲れでしょう。出ましょうか」と言うと、お母さんは窓の外で舞うケヤキの黄葉を眺めながら、ぽつりと言った。
「人生って、ずっと途中ですよね」
ぼくはその時、そうですね、といった顔でうなずいていたが、じつは今もその言葉の意味を考えている。
いろいろあって自分と向き合っている人の口から出る「人生」という言葉には、年々敏感になるような気がする。
(専門編集委員)毎日新聞 2006年12月20日 東京夕刊 生という言葉=近藤勝重
ある女性が介護の施設で働き始めた。
事情があった。夫が浮気して家を出た。後日、「離婚してくれ」と何度も電話がかかってきた。
2人の間には小さい子が1人いる。夫は子どもの養育費も送ってこない。
彼女にも意地があった。あんな勝手な夫の言うことなど、聞いてやるものか。そう言い聞かせて、黙々と働いた。
施設での仕事は、介護士のお手伝いだった。おじいさんやおばあさんのおむつの取り換えも、彼女は率先して引き受けた。
寝たきりのお年寄りを抱きかかえてベッドから車椅子へ、また車椅子からベッドへと移動させる仕事も、かなりの力がいった。
生半可な気持ちではこなせない厳しい毎日だった。
そんなある日、彼女は自分の中から夫へのこだわりがウソのように消えているのに気付いた。そしてその夜、帰宅するや夫から送られていた離婚届に判を押した。
その時の心境について、彼女は親しい友人にこう話したという。
「施設で毎日仕事をしているうちに、何か意地を張っている自分がバカらしくなってきたのよ」
その話を聞いて、ぼくは彼女の心境の変化がなんとなくわかる気がした。
おそらく彼女はおじいさんやおばあさんの世話をしながら、生きていくとはどういうことか、身をもって実感したのと一緒に、実のない夫に執着することの無意味さも実感できたのだろう。 彼女は友人にこう言って、小さく笑ったという。 「人生をやり直すわ。新しく」
話は変わるが、先日ぼくは大病を患う友人のお母さんを見舞った。 病院から帰宅を許された折にお訪ねして、近所のコーヒー店にご一緒できた。
小一時間、雑談を交わして、「お疲れでしょう。出ましょうか」と言うと、お母さんは窓の外で舞うケヤキの黄葉を眺めながら、ぽつりと言った。
「人生って、ずっと途中ですよね」
ぼくはその時、そうですね、といった顔でうなずいていたが、じつは今もその言葉の意味を考えている。
いろいろあって自分と向き合っている人の口から出る「人生」という言葉には、年々敏感になるような気がする。
(専門編集委員)毎日新聞 2006年12月20日 東京夕刊 生という言葉=近藤勝重
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