2007年10月4日木曜日

ねじれた絆


産院でうまれた赤ちゃんが間違いによって別々の親に育てらた事件。

1年(昭和46年)に沖縄市の産婦人科病院で起きた。
城間照光、夏子夫婦の子・美津子。
伊佐重夫・智子夫婦の子・初子(のち真知子)
いずれも仮名。

出産後間もなく、看護師のミスで取り違えが生じ、両方の親とも6年間、そのことに気付かないまま育て続けた。そして小学校入学前に血液型の検査から、わが子と思っていた育ててきた子供が、実はよその子であることがわかった。両方の親とも,かわいがって育てた子の愛情が濃く、また子供の気持ちへの配慮もあって、家族同士の交流を重ねたうえで子供を交換した。


城間照光と夏子の生き方と2人を取り巻く一族の関係は複雑だ。夏子は20代で4人の子を生みながら、子育てを放棄して遊び歩き、浪費し、酒に溺れている。
照光は夏子の姉と関係を持ちながら、子まで作ってしまう。


取り違えによって伊佐家で育てられた照光・夏子の長女である美津子は城間家にもどってからも、実の親である照光にも愛情も愛着も抱かないで、“育ての親”の伊佐家に入り浸り、智子を「お母さん」と呼び続ける。人はそれぞれにのっぴきならない人生を生きてしまっているという視点で著者は書いているという。これは柳田邦男氏の推薦していることばです)当然のことながら美津子と真知子が身に降りかかった不運をどのように乗り越えていったかであるが。その詳細や機微は本書に譲る)


本来の伊佐家に引き取られ小学校に入学した真知子は、先生に呼ばれてもポカンとしている。いつも孤独感を漂わせていて、「一度病院に連れていって診てもらったほうがよい。と担任の先生が言うほどであった。泣くのもワーワーではなく、シクシクで父親の重夫にも恐怖感を抱き、髪の毛一本触らせない。智子もどう対応すべきか途方にくれたという。


美津子の方は見かけは城間家に順応しているようだったが、伊佐家にやってくると、「ただいま!お母さん、帰ったよ」といい時間が来ても、「(城間家)帰りたくない。帰りたくない。」と戸にしがみつく。真知子と全く同じに扱われることを要求する、中学生になると、真知子に対抗心を燃やし、何事おにつけても、負けん気を起こした。こういうことが子供からの目からすれば深いトラウマを刻んでいるし、親からみても暗たんたる思いである。
この本を推薦している柳田氏もよんでいてハラハラしたのだから。


子供らが高校を卒業し、職を見つけて前向きに社会にでてゆくことになった。美津子も中学時代に真知子に向けた対抗心を笑い話にするほどになったばかりか、結婚した真知子の子供にあれこれと差し入れをして世話をするなど、心の底からの仲良しになっている。



まるごと2人を抱擁し、体当たりで愛情を注いだ智子の無償の愛によるものではなかろうかと結ばれている。奥野氏が週刊誌の取材だから通常1月間であるが25年間(あとがきで。得たものが想像以上といってるそうです)も続けたことに柳田氏が感嘆もし、結末に安堵の気持ちを抱いたのではないだろうか。
実は小生もこの本はこれから読むのです。一日も早く紹介したかったから。


「ねじれた絆―赤ちゃん取り違え事件の17年」文春文庫奥野修司著を推薦している『柳田邦男著人生の答えの出し方』から
写真は砂漠で出来る花

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