2007年10月29日月曜日

トルコ航空の救援機


左写真は「ゆんフリー」を利用しています。
チューリップとサクランボの発祥地トルコの国と日本のおつきあいについてのお話です。
三笠宮殿下とトルコ駐日大使の列席があった10月28日のイベントでした。
以前NHKのプロジェクトXでも報道されたことで、ご記憶に新しいことだと思います。

1985年3月、イラン在留邦人達がイラクのフセインによる空軍機の空襲によって2軒先に爆弾が落ち現地の人に死者が出て、日本人家族は宿舎の地下で過ごす人も現われる事態に追い込まれていた。イランから脱出しようにも、各国の航空会社は、いずれも「自国民優先搭乗」方針を掲げ、しかも自国民の乗客で満席である」であるとの理由で、日本人の搭乗を拒否したのであった。日本の航空機はテヘランに乗り入れていなかったし、野村大使も外務省を通じて自衛隊は海外へは無理であったし、日本の航空各社へ交渉した。しかしイランの安全保障と攻めてきているイラクからの安全保障を得られるのならという、事実上の拒否であった。

野村イラン大使はイランでトルコ大使とは腹を割って何事も相談できる、同期に赴任したもの同士の昵懇の間柄であった。隣国トルコでは★伊藤忠の森永尭支店長はトルコの大統領から委託をうけているオサ―゛ル首相と「パジャマの友」というほど早朝や遅い晩に首相の私邸赴いて付き合う昵懇の相談相手だった(トルコはそのころ経済的に行き詰まっていた。これに手助けしてトラクターの自国生産ができるような道をひく協力など惜しまなかった)。

こういう下地があって★野村大使は先のトルコ大使にも話していたし、森永氏は本社から要請があり、首相へトルコ航空に特別機をだしていただくように懇願した(森永氏も他国同様に首相としても、自国民もまだ全員収容する処置が終っているわけでもなく、無理な要請であることは重々分かっていながらのことであった)。
オザール首相は日本人を優先救援したというトルコ国民からの批判が巻き起こらないか、イランへ救援機を派遣するにしても安全を確保出来るのか?問題点が種々指摘される中で敢えて派遣するのだから、将来政治問題化した場合の対応策は?しかし日本の親友が懇願するように、脱出を図る日本人に危機が迫っており一刻も猶予ができない。さまざまな思いをめぐらせながら、遂に派遣を決断した。

今日のシンポジュウム・パネリストは★の方々:
★エミネ・キョプルル(当時のトルコ航空客室女性乗務員:日本人は駆け足で・真剣な顔で座席についた。
 日本に来るのは嬉しい。道を聞いても丁寧に教えてくれる。長時間の日本乗客にゴミがない、トラブルもない。日本で忘れ物してもチャント残っている。

この救援機がトルコに着陸したときは食事やお酒はとくにお酒は残っていませんでしたという発言がこの女性乗務員からあって、感謝の念のこもった聴衆から暖かい拍手が沸きあがった。
★オルハン・スヨルジュ(当時の機長):イラン上空を通過して、「ヨウコソ トルコヘ」といわれた215人は頭から足の芯まで安堵感が染みとおった。救援機なのに、女性客室乗務員だけであった、ここで★毛利東京銀行員の奥さんがお礼を言うと、その乗務員の目に涙がうかんでいたという。緊張した任務から解放された気持ちが目元にあらわれた(結婚もしていて、夫には救援の仕事はつげ、父母には心配をかけるということで内緒にしていた)。

司会者がどうしてこんなに日本に好意的な理由が知りたいという質問があった。機長の発言も友達というのは困ったときに助けるものだ。

オザール首相に森永氏があとで尋ねると、誰も、どの国も、(貴方の国さえも)助けがどうしても得られない事情がよく分かるから助けたのだと。

トルコ地震に見舞われた時、1万人以上の死傷者もでて、これに215人の各人は会社内にしらせ、毛利さんは500万円もの義捐金があつまり、これをトルコに届けた。これを随分後で聞いた機長らは、こういうふうに気持ちが通じ合えるので又要請があればまたフライトしますといっていました。
野村大使:日本人を帰国させたが、自分は残り、大使館員にも帰国を勧めたが誰一人帰国するものはなかった。大使の子供も同様だった。
日本人学校の県先生はこの事実をしり、のち単身赴任で残った子供へ教育にもどったという。

トルコが日本に超好意的なのは

①ロシアのピョートル大帝との戦争でトルコは連戦連敗であるがアジアの小国日本の海戦の勝利にトルコ人が驚嘆した。
②明治時代にも交流があったので、トルコの軍艦・エルトウール号が来日したものの、紀伊半島の串本で遭難し、犠牲者がでてそれをねんごろに慰霊碑もつくったこと等厚かった友情に多とした。
③朝鮮戦争はトルコは4.5万人を派遣し、米国兵を驚かせ、帰国時に日本経由したときは復興の有様がすごいので、祖父がいっていたのは本当だったと。これらの4万5千のトルコ兵が故郷に帰り、日本の状況をはなしている。
④発言をもとめられた人がいうには、トルコにいって外国人として、嫌な目にあったことはない。又同じ血筋や気質ではないかと思われるところがある。西にいったのがトルコ人、東にいったのが日本人だと思いたいという。
⑤司会者は許可をとらないでトルコで発掘調査していたところ、地元警察につかまったが、そこの上司が日本人と分かっただけで一月朝・昼・晩食事にこの庁舎に来てくださいとの厚遇を、ただ日本人であるというだけでしてくれるのだった。まるで地獄に仏とはこういうことだと理解したという。

以上の話を聞いて、一度はトルコを是非訪れてみたいという気持ちになった。
気持ちのよい実話が聞けた同時通訳のある中近東文化センターでの行事であった。

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