2009年から開始が予定されている裁判員制度は国民の司法への参加によって裁判に「健全な社会常識」を反映させることができる。建前の裏側に、ある種の危険性が隠されていると著者は警告している。昨年行われた新聞の世論調査では7割以上の人間が裁判員制度にはなりたくないと回答したという。そんな法律が何故成立してしまったのか?
西野氏によれば終戦直後にできたいまの裁判制度を戦後半世紀を経て根本的に見直そうという趣旨のもと、司法制度改革審議会にその発端がある。
審議委員13名のうち、法律専門家の数を敢えて半数以下の6名とし、ずぶの素人の委員を多くしたこの審議会で、最初から特に重要とされいたテーマが陪審員制度の導入だった。
陪審員導入論者と、反対論者が激論し、「陪審制への思い入れが強すぎる委員が審議中に興奮のあまり、反対論者が口汚い罵声を浴びせるといった事態にまで発展した審議会は、結局両者を調整しきれず、妥協の産物として参審議制度(市民参加型司法だが、陪審員制度とはかなり異なっている。)に極めて近い裁判員制度というものを提案した。言い換えれば委員達にとっても不満足な法律が、妥協の産物として出現したと著者は書く。しかも「審議会では裁判員制度を採用すると、刑事裁判のどこに、なぜ、どのようになるのか、という議論」は全くされておらず、それは現行制度の手直しで対応できないものなのかという検討もされなまま、一足飛びに新制度への移行が決めれたのだ。まことに軽はずみな審議過程としか言いようがない。
さらにこの最終意見を受けて政府が作った法案はわずか3ケ月で可決、正式に公布されたという。その結果「手抜き審理が横行」し「真相の追求がはかられなくなる恐れがある」上に被告人にも、犯罪被害者にも辛く苦しい思いをさせ」裁判員制度に動員される国民の負担があまりにも大きい」という制度が生まれたという。そんな裁判員制度に選ばれて貧乏くじを引きたくない人のために逃れ方を詳しく指南してくれるのがこの本の読みどころだという。
裁判員制度の正体:西野喜一著:講談社現代新書:朝日新聞書評欄:大岡 玲評から
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