2007年10月20日土曜日

新聞の凋落(ドイツでの例)




東京経済大E101号古川順一郎先生(朝日新聞・外交国際グループ・エディター代理)
ドイツケルン放送に出向・テヘラン支局長・ベルリン支局長の講義(マスメディアについての連続講義で毎回先生が変わる無料公開講座)より


9月より外交部が外交国際部に変更したのは、新聞の存在基盤を危うくなっているのを
効率よく垣根を取り払って自由に取材させようという、例えばイラン特派員が外務省まで取材できる組織にしたのです。
 この古川さんが、朝日新聞に入社してときに、先輩より言われたのは、この朝日新聞でさえ20数年先には存在しているかどうかという可能性があるのに、よく志望して入社してきたなあという。今は自分も新入社員にそういう言葉を呈したい。
インターネットの普及やテレビ等の媒体の登場により、新聞を読まなくなっているし、特に夕刊はそうです。
 

今日のこの教室で○○の件について知った媒体は?70人中わずかに数名が手をあげ、そのうち公開講座であるため、聴講生の我等の年代を除くと、新聞で知った学生は2名だった。産経は夕刊廃止しているそうですし、朝日も夕刊はほとんど読まれていない。
このように新聞が読まれなくなったのは、何も日本だけでない。
 

ドイツでは新聞の宅配制度がないので、1960年代にテレビの登場により、存亡の危機に立たされた。日本は宅配制度があったので、根本的な改革はおざなりだった。そのツケが今来ている。
 ドイツの新聞は解説中心に紙面が構成されている。ドイツの記者はすぐで、現場には飛ばない。例えば火事があって、現場では火の気があるだけで、放火、火の不始末、などはすぐには原因がわからないので意味がないという考え方である。こういう場合はわかるが総選挙の時に大変な問題が起き上がった。


2000年の秋の総選挙のとき、与党であった社会民主党や緑の党の連立による首相シュレッダーのが予想されていた。選挙会場の出口調査でもその劣勢が伝えられていた。
ドイツの新聞は午後6:30分が締め切りである。選挙のときは多少締め切りをのばすものの、1時間くらいのものであって日本のように夜中までに延長することなく、帰宅してしまう。

ところが翌朝社会民主党が僅差9千票で勝利を勝ち取った。シュレーダーが勝利したのはブッシュのイラク戦争に反対である国民のほとんどの声に、密着した発言を土壇場で繰り返した。これがこの僅差の勝利に結びついた。それが午後6:30の前日まで位の調査からは予想もつかなかった。いざ蓋を開けてみると大波乱であった。

従来のクリントンの時代ならば 米国にNOとはとてもいえない状況であったが、アフガニスタンに軍隊を派遣したものの、成果は上がっていない、逆に派遣の効果が退歩に向かっている。これではイラクへの派遣も同様な結果に終わるという危惧を抱いている大多数の国民の声にこたえたからこの逆転劇につながっていたので、この午後6:30からの開票結果は微妙な線であることに段々に分かってきたが、新聞ではもう即時に対応しきれないことが決定的にあきらかになった。

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