2008年8月25日月曜日

孤独の総量


北京オリンピックも終わりましたね。高校野球も終わりました。今日の涼しさみたいな間が空いた感じです。
陸上の為末大選手も、驚くほど思索的な文章を自身のブログに記している。
 これから昇る者もいれば、必ず去っていく者もいる五輪は、最高の人生の教科書だと私は思った。すべての人生に必ず訪れるだろう覚悟のとき、あるいは恐れる人物に対峙(たいじ)するとき。われわれを支えるのは、それぞれが闘った恐ろしいほどの孤独の総量でしかないと、選手が教えてくれる。
 孤独から逃げずに闘った者だけが、輝きを手にし、悔いのない決断をわがものとするのである。(さかもと みめい漫画家=さかもと未明産経ニュースから)

為末大のブログから
かつてこれほど1秒1秒を大切に扱った事はありません。ただ走れる事にこれほど感動をした事もありません。走っては子供のように喜び、痛みが出ては絶望を味わう。その狭間を行き来する中で、そのうちに生きるという事はこういう事かと思うようになりました。これまでいろんな事が普通にできすぎて、それを感じる事がなかなかできませんでした。 走る事に意味を感じているのは、小学生の時に初めてスパイクを履いた時のうれしさよりも、今の方が強くなっています。私の身にはいつも必要な事が必要な時に起こるような気がしてなりません。
 人生に何度か我を忘れて走っていた事がありました。気がつけばゴールしていた、そういうレースがだいたいにおいて最高のレースだったりしていました。競技人生で最高のレースを私自身が走った気がしていないというのが何とも不快で、自分で理解しようとこれまで努めて来ました。 ですが、30歳になった今年の日本選手権、またそういうレースになってしまいました。20年経っても結局同じ事をしていました。ふとレース後にこういうものは理解するものではなくて、もうそういうものなんではないかと思うようになりました。”don't think feel” です。 不思議な感覚ですが、うたた寝のような感じで、終わり際はわかるけれども入り際がわかりません。自分で動いているよりも自分が自分でないような感じが強まります。
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