2008年8月4日月曜日

市町村合併


写真は長内デザイン室の世界のお土産より
今住んでいる西東京市は田無市と保谷市が合併してできた街です。近隣との合併については何回も試みられて失敗を重ねてかろうじ出来た街です。
同じくらいの規模の街でしたが、いまだに市庁舎は保谷庁舎と田無庁舎と2つあります。議員や市役所職員の削効果がどの程度あったかはわからない。
便利になった点は保谷市は地形がカニがハサミを広げたような形で、ハサミで囲んだ丁度中の部分が田無市であったので両市あわせた形が格好がよくなった。
個人では図書館が数多くなったので利用できる図書の数も多くなったし、現在陶芸をやっているが、今まで田無市であった公民館でやっていますので、市民交流の幅が大きくなった点です。実感できる点はそういう点で合併の効果は長い目で見る必要がある。旧田無市のほうが財政では優良な企業を抱えていたので、よかったので、田無市のほうがシブシブであったようです。

虹の彼方に:池澤夏樹:市町村合併の本当の問題:

市町村合併によって官僚の数が減ることや、議員が減ることはそれぞれの経費が節減できてよい。村A,B,C,Dと町Xが合併する。今村は自立して地域内を自らの判断で経営
している。しかし合併後はそうはいかなくなる。人口比に合わせて議員をだすとすれば例えば、各村から3人づつ町からは10人。それぞれの村の思いは町に否定される。そんな田舎の些細な案件で自分達の足を引っ張るなといわれ、町化することが発展だといわれ、多数決での町の意見ばかりが通る。つまり、これは合併ではなく併合なのだ。例えば
石川県尾口村の文弥人形浄瑠璃は都会にいって見て、感動して持ち帰ったというような歴史がよくわかる。がこの種の公演は経済的に引き合わないことが多い。村なら援助の話しは理解されるが、合併後はどうだろうか。全国の寒村が危惧していたことはどうなっただろうか。

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