2010年2月8日月曜日

程よい温度


おはようございます。今日は午後から雨で春雨の生温かい雨のようですね。
向田邦子との20年:久世光彦より

私は向田さんのドラマについて話すことがあると、必ずこの話をする。あるお天気のいい午前、貫太郎が大きな背中を見せながら縁側で爪を切っている。パチン、パチンと気持ちのいい音が聞こえる。新聞紙を敷いたその上に大きな足を
置いて切っているのだが、勢い余って貫太郎の足の爪は弧を描いて庭先や茶の間や、あちこちへ飛んでいる。お勝手の方から足音がして妻の里子が現れ、貫太郎の脇を通り抜けようとして「あ痛ッ」と小さな声をあげて立ち止まる。鶴の
ように片足を上げて、素足の足の裏に刺さったものを摘んで取る。畳に飛んでいた夫の爪である。そして誰言うともなく、ポツリと呟く。「男の人の爪は固いから・・・・」これは名台詞の一つかもしれない。素足の女の感覚である。生
活の隙間からひょいと拾い上げた台詞です。
里子は「爪を飛ばさないでくださいね」などいと無粋なことはいわず、そのままスタスタと行ってしまう。聞こえたのか、聞こえなかったのか、貫太郎も知らんで顔で爪を切り続ける。それだけのシーンである。そこがいい。向田さんの
好きだった人生のほどよい温度がここにはある。

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