2010年2月3日水曜日
平凡な名前
おはようございます。雪道を滑らないように駅までいったら、ホームに電車がきていて慌てて乗り込んだ。何時もなら4分位の
余裕はある。今日は多少ゆっくりだったので時間がかかったのだと思った。しかし車内のアナンスで病人のために3分の遅れで申し訳ありませんとのことであった。
結局は前の電車に乗ったが為にいつもよりも早かった。通勤先の近くの女子中学校では入学試験で、案内の人が40人位もならんで待ち構え、ビップ扱いのようです。
父兄の待機所まで設定されていました。そういえば3日は節分でした。もう春なのですね。
向田邦子との20年:久世光彦より
向田さんは作中の人物の名前なんかどうだっていいと日頃言ってはいたが、嘘である。ただ一見どうでもいいような名前ばかりつけていたのは事実である。たとえば『寺内貫太郎一家』の石屋の使用人の名前は〈イワ〉に〈タメ〉に〈ウス〉、向かいの花屋は〈花くま〉であった。いずれ〈岩五郎〉とか〈為吉〉とか本名はあるのだろうが、最後まで誰も知らなかった。『阿修羅のごとく』の四姉妹は上から〈つな子〉〈まき子〉〈たき子〉〈さき子〉だった。そんな名前ばかりであった。なぜかというと、第一に経済的な理由からである。字を書く手間のことである。脚本には台詞の頭にいちいちそれを喋る人物の名前を書かなくてはならない。主な役だと一遍」の脚本のなかで50や百の台詞はざらだから。〈イワ〉と〈森繁〉を百回書く手間の差である。自作の「顎十郎取捕物帳」の顎などの字画が嫌なのである。そんな向田さんだから画数の多い役名をつけたことはない。
向田さんがある脚本の中でつけた名前「その子」を「忍」に直したことがあったが、ひどく怒られた。過剰にロマンチックな名前だとはじめからなんだか選ばれた劇的な女になってしまう。女はみんな普通なのだ。普通の生まれで普通の育ち、普通の名前で普通に人を好きになる。普通の顔に菩薩の笑みを浮かべ、普通の顔をして心に鬼を棲まわせる。だから女は可愛いし、だから女は嫌らしい。私は謝った。それからごく普通の名前が好きになった。
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