2010年2月26日金曜日

リアルなひらがなの演出


おはようございます。田舎で葬儀があり帰省していました。帰りの車はこの暖かさでコートの中も汗びっしょりでした。
いい葬儀でした。気持ちよくお手伝いができました。あらためて田舎の山形県の二本海側の庄内の良さが再認識されました。
又一人残された叔母になりましたが、義叔父も叔母も教師をやっていましたので、教え子等大勢の見守る方がいますし、安心もしました。。


大遺言書 :語り・森繁久弥:文・久世光彦
森繁さんの49歳のとこのことである。老人を演じる時、意地悪なところはあるし、偏屈なふりはみせるし、最初はあまり好きにはなれなかった。台本にせよ、脚本にせよ、自分でどんどん直してしまうのが不遜に思えたし、こっちが素直になれるまでずいぶん時間がかかった。あんな軽口の胡散臭さに心許してなるものかという構えがあった。本当は感じるところがあったのに、あんな下世話な人情芝居に流されてたまるかという、やはり「身構えた矜持もあった。私のあのころはお芝居を漢字や横文字で考えていたのだろう。」ところが森繁さんのお芝居は平仮名だった。たとえば誰もいっしょに遊んでくれなくて淋しいお爺ちゃんが、一人雨の窓を見ているというシーンを、あの人は、日当たりのいい縁側で、田舎から出てきた愚鈍なお手伝いが嫌がるのを無理矢理押さえつけて、襟足を剃ってやるという芝居に変えてしまうのである。けれども、このほうがずっとオカシかったし、悲しかった。というようなことがいろいろあって、私も向田さんもいつの間にかあの人の弟子になっていた。
悪く言えば<際限のないいい加減さ>よく言えば<余白の魅力>というのが2人の弟子の師匠寸評だった。

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