2010年2月6日土曜日

○につけても



おはようございます。新潟の様子では85cmもの大雪だそうで、田舎山形の叔母の家も心配です。除雪車がきて公道は通行できるようになるが、玄関の前に除雪の大きな塊が寄せられて、それの処理が又老人の手には、屋根の雪下しも合わせて大変な作業です。雪かきなどどうしているか心配です。
昔毎朝玄関から公道も含めて、雪踏みで道をつけてからの朝食でした。

向田邦子との20年:久世光彦
どんな上の句にも(それにつけても金の欲しさよ)という句が下につくという話がある。
たとえば《山ひだのゆるき流れを上りつつそれにつけても金の欲しさよ》とか、《月を待つ高嶺の雲は晴れにけり それにつけても金の欲しさよ》といった具合である。どんなに高楊枝をくわえていたくても 、
財布のほうが一人で寂しがるということがあるものである。私が長年勤めた会社を辞めて独立したといえば聞こえはいいが、不安なものである。よりかかる大樹が今日からはないのであり。半年先までの当
てはあっても、1年先となると目処などついているはずもなかった。それでも、いろんな人から励ましの言葉を添えて、絵や時計や置物やそれに花をたくさん貰った。どれも嬉しかったが、お金をくれた人
が一人だけあった。何尾の色気もない茶封筒に入っていた。中に手の切れるようなお札で、びっくりするくらいの金額が入っていた。封筒の表には〈おめでとう〉と面倒臭そうな字で書いてあった。
普通なら〈入学祝〉とか〈寿〉とか祝儀袋にかいてしまうものだが、留学の人へは〈好日〉とかパーティなら〈花束〉と書いてポケットへ忍ばせてやる。そんな向田さんでも不祝儀の場合は人並みに〈御霊
前〉〈御仏前〉と畏まって書いた。悲しみの日には、人と同じ顔をして粛然とうなだれるのが礼儀と心得ていたのである。

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