2010年2月8日月曜日

ジャガイモは怖い


おはようございます。戦後の食糧難のときは、ご飯にジャガイモや、大根の葉や、サツマイモがはいっていました。皆お祭りどきに食事が賑やかになるのが楽しみでした。
じゃがいもの話:スペイン人で神父で植物学者であるジェロニム・コルダンや同じくスペイン人のペドロ・シェザ・デ・レオンが異口同音に絶賛しているような食材、あっという間にヨーロッパ人の胃袋を虜にしたかのように思われるだ
ろうが、実際は逆だった。
大体人々は初め気味悪がった。土にまみれた不細工な塊、こりゃ、悪魔の食いもんじゃないか。
たびたびヨーロッパ各地を襲った不作や飢饉の年にさえ、どんな厳しい気象条件にもまけず、どんな貧しい土壌にも根付き、多さんで栄養価の高いジャガイモは受け入れてもらえなかった。当時の絶対君主は食糧問題の解決につながると
みて、普及のために最後は暴力や脅しを用いて強制的手段に訴えた。1756年のジャガイモ戦争でルイ16世の治下のフランスでジャガイモの普及に尽くしたオーギュスト・ハンバルマンチェはプロシャの捕虜になったおかげでジャガイモ
の美味に気付かされた。しかしジャガイモンの普及は遅々としていて、市民権を得たのは18世紀も末のことである。
日本には1601年には今のジャカルタからオランダ船で長崎にもたらされた。ロシアに入ったのはこれよりも遅いのだ。17世紀末兄弟との政争にかったピョートル1世は職工に身をやつしてオランダやイギリスの先進国の技術を学びな
がら、ジャガイモの美味も体得して持ち帰った。しかし誰もが気味悪がって食べないし、作付もしない。大帝が目の前で食べてみせても、さらには食べないと打ち首といっても苦しみ悶えながら死ぬのは嫌と拒否していたが、実際食べて
みて美味しさが分かったのことだった。しかしそれでも翌朝には冷たいムクロになるとおののいた。
アダムとイブが楽園を追われた原因となったのは、リンゴではなく、ジャガイモだというのだ。花が咲いて実がなるのではなく、土中でクローン型の増殖をするのが、気味悪がられたのである。「悪魔の果実」を食した者には地獄が約束
されている、と。
もうひとつ農民に普及しなかったのは味が薄く、バターやソースをかけると高く付いたとういうこともあった。
武装蜂起した首謀者が不毛の大地へ流刑になった。ここでやんごとなき身分の首謀者も農耕にはげみ、ジャガイモを取り寄せ栽培した。それが農民にもやっと伝わった。それがジャガイモを栽培しそれを食したものには金貨を与えた。こ
れは絶大な効果があった。それが全土に伝わる始まりだった。

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