2010年2月12日金曜日

記憶の扉


おはようございます。ふっと思い出すきっかけは、古い町並みや骨董市にいったとき、また押し入れの整理や、捨てられない手紙を整理しているときです。
向田さんの場合は、匂いをきっかけに思い出すようです。
向田邦子との20年:久世光彦から
アンチョコ:台本のネタの打ち合わせがあっても、ないときはない。そのようなときには歳時記や歌謡大全集だった。この2冊はいってみれば話の泉だった。もしかしたら、この2冊の中には人生のすべてがあるのではなかろうか。春夏
秋冬、たとえば3月なら<雛><桃><東風><啓蟄>という風に、俳句の季題とそれを用いた例句がのっている。
向田さんは流行歌をうたったことはあまりきいたことがないが、時代の出来事といっしょに実によく知っていた。一つの歌にはそれぞれいくつもの思いがあったのだろう。ほとんど聞こえるか聞こえないくらいぐらいの声で『雨に咲く花
や小畑実の『星影の小径』をいやに長いことハミングしていたのは、なにか訳があったのだろう。生きていることのいちばん大切な部分と、意外な関わり方をしていたのだ。
向田さんは匂いに敏感で、お祖母ちゃんに手をひかれて松茸を買いにいった夜道でラジオの東海林太郎の歌を聞いた話というのがあるが、まずミス・メモリー(向田さんの記憶力の良さの別称)が思い出すのはラジオの音である。その音
を反芻していると、住宅街の家々の黄色っぽい電気の光が見えてくる。お祖母さんのカサカサした掌の感触が蘇る。あれは確か松茸を買いにいったのだ。なぜそんなに夜遅くに松茸なんか必要だったのだろぷ。そうだ、お父さんの大切な
お客さんが突然見えたのだ。という思いだしの順番のようのである。

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