2010年2月11日木曜日

こんなときでもいい気持ち


おはようございます。メールを開いてみて、朗報でした。義叔父の難病の入所先がきまり一安心です。唯一の頼みの綱でしたので、喜びよりというよりも、叔母はまず安堵の気持のようです。これがだめなら車で雪道の2時間も先でした。ここなら10分で通えるし、よかったです。

生きる子との意味(ある少年のおいたち):高史明
極貧にあって母も幼い頃になくし、父親の手でないない尽くしのところで育ち、自分の気持ちを少しでも解放できるときはどんなときかとよんでいたら。
わたしは、毎日学用品を包みこんだふろしきを腰にしばりつけ、お古のズボンのしり(、、)に、風いっぱいにはらみこませて学校に駆け付けました。もし、学校に通うようになって楽しいことがあったとすればそんな時だったといえるでしょう。
おしり(、 、)にカギ裂きをつくっているのを忘れて、前の晩のうちに父に繕ってもらえなかったおきには、この風は、大きな破れ目からうすうすもれ出てしまって、ズボンはうまくふくらみません。でも「やっぱり気持ちがいいのです。
雨の日は、下駄を両手にもって、はだしで駆けるのです。一番いい気持ちになれるのは、そんなときでした。みんなが大きな傘をもてあましているとき、わたしだけは、身軽に「すいすい駆け抜けていけるのですから、雨に濡れことさえ
もとても楽しくなるのですから、不思議なものでした。

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