2010年2月4日木曜日

父の偏屈


おはようございます。昨日の朝の出がけに、庭のバケツに入っていたのが、凍っていました。相当に寒かったのですね。これを見て急に寒い思いをしました。

任那や百済や、秀吉の朝鮮出兵や朝鮮通信使など相当に古い歴史は聞いていましたが、近代の韓国や朝鮮との日本について状況についてはこの本を読むまではよく
分かっていなかったようです。被害を受けた側からの事実の発表がないと分からないものですね。

生きることの意味(ある少年のおいたち):高史明より

1900年以降の朝鮮との事情

時期   出来事      朝鮮人の日本国内人口  
1900年   日清戦争※          
1910年:日韓併合   790人         

1919年  3.1事件(朝鮮独立運動)
1931年満州事変
1932年       390,543人
1940年      1,000,000人
1945年敗戦    2,365,263人
※この戦争は日本と清国が朝鮮の支配をめぐって争った。
韓国における所有権のない土地を土地調査事業という名目でありながら、
朝鮮の農民は長年にわたって耕作してきた土地を取り上げられた。
朝鮮の農村においては土地とは部落の人々のものという考え方が強かったり、個人の所有がはっきりしている場合でも、その保障を慣習にたよることが多っかた。多くの土地が地主のものであっても実際に耕している農民のものでなかっ
たという事情がかなり一般的だった。所有権を申告すると、かえって土地を奪われるのではないかと疑い、申告しなかった。このために土地が容赦なく取り上げられた。こうしておびただしい流民が生まれた。この流民が日本に来たこと
になる。
▲労働力や兵隊の要員として強制的につれてこられた朝鮮人
▲うばわれた朝鮮語(朝鮮の学校で朝鮮語禁止)
▲削られとられた朝鮮の歴史や文化
▲創氏名改名は朝鮮風の名前を日本風に変えさえした。

父の偏屈こそがわたしたちを守ってくれました。母親のいない私たちを、いじけた子にすまいと思ったら、偏屈にならざるを得なかったのです。そして、それだけが、きっと父の気持ちを引き立ててくれる“つえ”だったのです。
父の偏屈とわが家のきまりは、
カミ一枚 トッテクルナ
ハシ1本 モラッテクルナ
クギ1本ヒロッテクルナ
これが、父がいつも口にしていた鉄則です。
父がしばしば口にしていた教えがあります。
人ヲナグル者ハ、背中ヲチジメテネムルガ、
人ニナグラレタ者ハ、手足ヲノバシテ眠ルコトガデキル。
「人間ハ、ドロボウシテ楽ヲスルヨリ、貧乏シテモ、手足ヲノバシテ暮ラスホウガ、長生キスルモノダ」

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