2010年2月15日月曜日

我が師の恩は5円



おはようございます。米国のスポーツ誌の日本のメダル予想は銀が3つ、前回もピタリ予想通り、日本のマスコミの「捕らぬ狸の皮算用」でしたし、さすがにそうでない場合の残念をカバーするような取材も用意していたのか
いないのか・・・。
続日本一の私の先生
大賞――篇
5円の指輪:野村登志子(岐阜県 57歳):青春出版社〔編〕
小学校3年生の頃だった。近くの駄菓子屋で子供の指輪を売っていた。今思うと、小さなガラス玉に針金を引っ掛けてあるおもちゃだった。段々と周りの子が得意そうにみせびらかすようになった。お正月かお盆か遠足ぐらいし小遣いをもらえなかったは人並みにあれもこれも欲しいという気持ちが強かった。しかしわずか1年ほどのつきあいの義母にねだる決心はつかなかった。おさえればおさえるほど、かえって指輪がほしくて毎日言おうという思い繰り返していた。ある日とうとう必死にたのんでみた。「何を言うかと思ったら――。そげんな子供の遊びもんに5円もやれん、お父さんに言うたとか」と立て続けにがなり立てる。私はしゅんとしてしまった。泣きわめきたい気持ちでいっぱいだった。が下を向き、唇をかみしめていた。
そんなある日義母が学校の貯金日に30円持たせてくれた。そのお金を手にした瞬間、もう指輪を買うことにきめた。悪いということは分かっていながらもう怖くということもなくなってしまっていた。
次の日貯金通帳をみた義母は「30円もたせたのが、25円しかついとらん」「5円たりなかあ、学校の先生が間違うわけがなか」「じゃいば、うちわ知らんもん」と頑固に首を振って「知らんもん、知らんもん」と言い張った。次の日教室の後ろに私を見つめるように母がたっている。「どうしよう」に変わり、顔もほてってきた。授業が終わり、先生と母が熱心に話している。「今本当の事実をはなそう・・・いや・・・あやまっても怒られるのは同じだ」こんな気持ちがかわりばんこに心をゆする。母が先生に頭をさげ、ぷりぷりした顔で教室を出てくる。「お母さん」と声をかけると「人さわがせな」とさっさと帰ってゆく。
母の姿が納得できず、「先生、あんなあ、うち 貯金のぜにを・・・」と言いかけると、「ちょっとそこに座って、心配したでしょう。今お母さんに謝っておいたけど、貯金のおかねが5円余っていたの、先生うっかりしてごめんね」と頭を下げた。「先生うちがこれを」ととぎれとぎれに話しました。そうしているうちに涙が出てくる。
先生長い間は私をみつめていた。「大人になるまでつらいことあるけど、がまんするのよ」いくらほしいものでも、自分で悪いと思ってもこっそり手にしても、ちっとも楽しくないでしょう。それをみるたびわかるでしょう、貴女は・・・ね・・」
次の日先生は昨日のことは全く知らないふりで、1週間の便所掃除をやるようにいった。私は嫌なことを消す思いできれいに掃除した。「今週の便所掃除は今までの内で一番よかったです。きちんと掃除すれば使う人も汚さんように気をつけます。みなさんも見習ってください」とみんなの前で褒めてくだすった。
突然のことだった。先生は担任になって10月でお嫁に行ってしまった。2年ほどたって幼児の手をひき買い物の先生とばったり会った。
「会えてよかった。しっかり頑張って勉強しているでしょう」「職員室の向こうに図書室があるでしょ。偉人の伝記や貧しいくらい生活のなかできちんと生きた人々が書き遺した本がたくさんあるのよ。いい!本をたくさん読むの・・ね」先生にそう教えてもらってから目新しい持ち物はほしいとは思わなくなった。勇気ずけてくれる、不思議な本の魔力をすこしずつ知り、そしてわかるようになった。
遠い鹿児島の故郷をなつかしく思う時、先生は長生きして元気でおられるだろうか、会ってひとことお礼を言えたらと年を重ねるごとに強く感じている。

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