2008年2月25日月曜日

黒沢監督と300羽のカラスと大江さん




おらが朝日から黒沢監督の印象を電話で取材されたとき、監督はまだ息をしていたんだ。新聞は相手が有名人だと
まだ息があるうちから死んだときの記事を用意するんだな・・・・って。黒沢監督は「カラスのいる麦畑」って題の画家ゴッホの
映画のためのロケ地を探していた。北海道の指折りの農業の女満別町でやっとの思いで辿り着き、朝日のビール麦の畑をみて
「すばらしい、起伏も緩やかで奥行もある。わたしが探していた通りの麦畑です。カラスが飛ぶシーンはここに決めましょう」
なにがなんでもカラスがいるから、是非協力してくれという話だ。かるく返事をしたがなんと、250羽も集めてくれという。やあたまげた。
田中助監督はこんな話をした。「たとえば『影武者』という映画では、合戦の場面で使う馬200頭を1億円かけてカナダから買いました。これは日本の
馬より動きが敏捷だからです。その馬をさらに1年飼育して訓練させてから撮影に入りました。つまりそれほどうちの監督は完璧主義なんです。」
そうはいうもののカラス250羽をどうやって集めるかはユルクナイ話だ。女満別はもちろん網走、美幌、のゴミ捨て場での捕獲作戦だ。多いときでも1日6,7羽だ。これを捕獲してもいくら北海道といっても真夏30度をこす、飼育方法と健康管理であって、肝心なときに足が萎えて飛べないのではないかの心配が頭を去らない。
ついには300羽にもなったので、ロケ地に近いカラマツ林の飼育場では糞の処理、飲み水、水浴び、で大量の選んだ水の運搬には難儀した。
カラスは頭もいいだけでなく、礼儀正しかった。せっせと世話するおら達にはちゃんと敬意を表して1羽たりとも、糞をひっかけることもなかった。
共食いの噂とは大違い、空から飛んできた金網の外の仲間にも自分の餌を分けてやるのだ。白いシャツを着て小屋にはいるとガアーガアー、黒いシャツのときはおとなしい。
ロケ隊がきた。礼儀ではカラスに劣ってはいけないと、だまって頭をさげた。背広ではない人が「御苦労さん、カラス順調ですか」「おうおう、見たとおり元気だよ」
誰よ、あのおやじ?」田中助監督は鳩がマメ鉄砲くらったようなあり様だった。おらは監督の写真もみたことはなかった。
田中助監督いわく「・・・・カラスがうまく飛ばなければ、この映画の完成はありえません」
そういわれてらが苦心惨憺だった。観音開きの2重底の木箱にいれて蓋をあけたらすぐ2重底の上底を持ち上げることでジャンプをさせて、願ったよ。「飛ぶ、飛ばないはカラスの勝手だども、右でも左でも、高く高く、遠く遠く、飛んでくれ頼むで」
ふたを開けたとたん、空砲が轟いた。カラスが乱舞した。大空が一瞬真っ黒になった。監督からも大江さんありがとうを繰り返しいわれ、胸が熱くなったし、帽子をとって頭さげるのが精いっぱいだった。


北の大地の無法松:語り・大江省二、構成・井上明子:風媒社より


写真は中近東文化センター展示品より


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