2008年2月5日火曜日

ダンディ


ダンディの服は懲りすぎてはいけない:物語イギリス人 小林章夫著より
皇太子時代のジョージ4世と出会いはブランメルが少年にしては妙に落ち着いて若者であった頃であった。この優雅な物腰な人間がオクスフォードを卒業する時に、「卒業のあとどうするか」と尋ねることからはじまった。皇太子は近衛連隊への入隊を約束した。この稀代なダンディとして一斉を風靡した人間の衣装哲学は「街を歩いていて、人からまじまじと見つめられるときは、服装が凝り過ぎているときである。」控え目こそが肝要、あらゆる奇矯、意外な色彩、大胆すぎる裁断などは、ブランメルが一番嫌ったものである。当時としては地味な古典的服装を、完璧に着こなしをするまでには、涙ぐましい努力があったことは忘れてはならず、そして努力のあとも全く見せないことが肝要なのである。彼の着付けの儀式は2時間かかるが、その支度の中心はネクタイの結び方であった。ネクタイの折り目をキチンとするために、軽く糊つけした布地を用い、シャツの襟ときちんと合うようにネクタイのひだの微妙な調整をおこなう。これは相当にデリケートな作業で失敗することも何度もあった。衣装によって目立つのではなく、着こなしのうまさをこそ誇ること、派手な模様は寄せ付けず、上着の素材は色彩において地味だが、目で見て立派であること、身体にぴったりとフィットし、身体の自然な線に従うこと、こうした美学が実地に生かされるためには、長時間の身仕度と何よりも体型を一定に保つことが要求された。寸暇を惜しんでブランメルの指導を仰いだジョージ4世はこの最後の点で失格者となり、国王とは喧嘩別れすることになる。そして国王に対しても超然たる眼差しを向けたブランメルは周囲から見捨てられ、うとんじられた。その後パリにすんで不遇で不幸な生涯を終えた
だが彼の服装哲学はその後のイギリスにも受け継がれた。
ブランメルが日本の今をみたらどういう顔をするのでしょうか?

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