2008年2月21日木曜日

天正遣欧少年使節団は貴族のふるまい


天正遣欧少年使節団4名:1584年(天正12年)9月17日はスペイン国内の主だった人たちがヨーロッパ最大の政治都市マドリード(アラビア名だそうです)の街に集まっていた。少年達はいずれも15,16歳で使節の代表は「日向王の子」とされていた伊東マンショであった。かれらを派遣したのは九州における3人の王で、大友宗麟、大村純忠、有馬鎮貴であった。少年たちはそれぞれの「王」の王族というふうにイエズス会巡察士ヴァリアーノの宣伝によって称された。ただし、かれらは上記の3人の大名の遠縁であっても、家来であるにすぎず、王とか王子とかいうたいそうなものではなかった。ローマ法王庁でも金拍車の騎士という大層な待遇を与えた。少年達は気品と自律心に富み、どういう晴れの場所に出ても、貴族以外のなにものでもない印象を人々に与えた。ヴァリアーノが押して日本の有力な貴族としたのは、そういう資格の少年でなければヨーロッパの王家や貴族が対応してくれないのを知っていたからだそうです。司馬遼太郎:街道をゆく:23南蛮のみちⅡより
写真は中近東文化センター展示品

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