2008年2月20日水曜日

日米の飛行機の安全比較


中島飛行機物語(零千などの航空機を製作)-ある航空技師の記録-前川正男著:東京光文社
技術戦争でもあった太平洋戦争のとき、人間をすぐ召集がかけられるったったハガキ代の価値にしか認めていない、招集令状の発行システム(重要な仕事をしているかの事前の調査もしないで、ただ割り当てられた人数を赤い紙に書いて行く)は、せっかく時間をかけて養成した熟練工をつぎつぎ召集してしまうので、その穴埋めは、全く素人の徴用工や、学徒を補充してくるだけなので、生産体系に大混乱をきたしていた。
 反面米軍は日本を空襲した際に被弾してサイパンまで帰ることができない飛行機を、日本近海の一定海域に不時着させ救助していた。米軍機B29は流れ作業でどんどん完成させてゆくが、熟練した乗員や優秀な操縦士は即製できないから貴重だった。どこか適当なところに陸上の不時着の場があればと、そのために米軍は覚悟の上で、硫黄島を占領した。
米軍の戦闘機の燃料タンクには内部にゴム板が貼られていて、被弾してタンクの穴が開いても、なかのゴム板によって穴がすぐ締まり、ガソリンの流出を防ぐとともに、爆発しないように、工夫されていた。これに対してわが方の戦闘機は被爆するとそこからシューとガソリンが白い霧になって尾を引き、焔となるので、「葉巻」と呼ばれていた。
論理優先で考えれば、技術者は領空を支配する飛行機優先の時代が来ているし、それに対応する技術力も充分にあったのに、軍人上層部の地位の名誉になる戦艦大和などの大型空母建造を先にしてしまった。現状・惨状の報道がキチンとなされていて、人間優先志向や戦略や物資の豊富な米国の実力を直視し我慢し、優劣について冷静に判断されていたら、無駄な戦争を避けられかもしれないとつくづく思う。このむちゃくちゃに走る習性は充分反省されているだろうか。
写真は中近東文化センター展示品

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