2008年2月17日日曜日

古代道路の広さ


日本の古代の道路はどのような道路だったのでしょう。箱根や日光に残っていたり、時代劇に出てくる江戸時代の街道や並木道?あるいは、より古い時代だから、もっと貧弱なあぜ道のような道路?ほんの30年前までは、古代史や交通史の専門家の間でも、古代の道路は主要道路でも、曲がりくねった幅の狭い自然発生的な道路であると考えられてきた。江戸時代の街道などから類推していたのだから、無理もないことである。答えはノー。
日本の古代道路(にほんのこだいどうろ)は、古代日本の中央政府が飛鳥時代から平安時代前期にかけて計画的に整備・建設した道路または道路網を指す。地方では6m~12m、都の周囲では24m~42mに及ぶ広い幅員を持ち、また、路線形状が直線的である(時に直線が数十kmにわたる)という特徴を持つ。当時の中国()における道路制度の強い影響が想定されている。直線道路は、まず7世紀初頭の奈良盆地で建設されはじめ、7世紀中期ごろに全国的な整備が進んでいった。そして、8世紀末~9世紀初頭(平安時代初頭)の行政改革により次第に衰退し始め、10世紀末~11世紀初頭に廃絶した。日本の古代道路を探す:平凡社新書:中村太一著などより
写真は中近東文化センターの展示より

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