2008年2月2日土曜日

チョコちゃんのこと




この本はマイミクのあけみさんにのっていた本です。:「ことばが劈(ひら)かれるとき」竹内敏晴・思想の科学社
<凍りついていた喉がどうなったか>
チョコちゃんは心身障害児施設の療育施設にいる小学校6年生ですが、3年生位にしか見えない。声はでるが言葉にならないし、「知能指数不明」で発育遅れとして入学した経過をもつ。毎朝の合同の体操のときの体の動きや昼飯時の表情の豊かさや反応のしかたから見ると、学習能力はそうは低くないのだろうという職員の意見は一致して遅れの軽い方に編成替えになったのが3年生の時だった。
 ただ「アー」と声を出す稽古なのだ。「正面の黒板を付き抜けて隣の教室の伊藤先生のオデコにアーのこえをくっつける」という課題が第一(気持は隣に届くように)。正面を向いたまま、第二は頭上の蛍光灯に(気持が同様に)、第三はやはり正面を向いたまま、後ろの壁を突き抜けて秋山先生の教室にアーを入れる(気持は同様に)つまり後頭部から声が届かすようなイメージの練習である。チョコちゃんは五,六回稽古しただろうか。はじめは「ア、ア」と途切れ途切れの声しか出なかったのが一回ごとに長く張りのある「アー」になっていた。ニコッツとして伊藤先生のオデコに向かっている。「こんどはどこ?」と聞くと、ンキ」電気という。天井の蛍光灯のことをいっているのだ。自分で課題を決めて「アー」と集中する。みんながつけたがるのは特別のチューリップ型だ。これをつけた日直の当番は指示・伝達・司会をみんなの前でどの子も不自由ながら、いやおうなしで話したり問いかけするほかにない。この小柄な幼いチョコちゃんにはこのチューリップ型を幾日でもつけておいてやる。「・・・つ」とかの号令に問い返しもせず、皆も自分も澄まして起立する。こういう雰囲気に安心したのか活発に行動するようになってきた。そして朝の「アー」の息のよさ、集中のよさではクラスの第一人者になった。このように学習能力を発揮してゆくチョコちゃんは、予想どおり、力のある子だった。が意外なこともあった。いろんな面でハキハキしてしゃべれるT夫君は本気なくっきりしたこえで“黒板を突き通すことがなく、自信なげで低迷している。T夫君を労わって評価すると、彼は、すこしはうれしそうだけれど、ほかの子の発声ぶりには及ばないと彼はすぐ困った表情になる。<頭の皮で考える>どまりの教化作業であった面が多いのではないか。
夏のある朝、チョコちゃんがあんまりきれいに「アー」の声をだすものだから”アイウエオの歌”をもう歌えるのかなと思いついた。促すとたんにカスレ声になり、「アッイッ」で途切れてしまう。何回繰り返してもおなじ。おかあさんのはなしでは<大家族内の嫁として身のちぢむ思いのなかで育てたことが敏感にこの子に響いたのだ>し大学付属病院でも「そのうちなおるのをまつほかない」とい診断。”隣の先生のヒタイにくっつけよう”というのが<からだ=心を劈(ひら)いて先生のヒタイに届いた。それをまわりでは”声が出た"とみた。ところが“アイウエオの歌”は彼女にとってはなんの欲求も持てない。ちょうど村祭りのあとでタイコを見たり聞いたりしたばかりだから“タイコの歌”を「クラスで歌うことにした。ミナコちゃんと言う子が胸のあたりで小さく指で打つ時はこれをを見習って、「小さいタイコはトントン」と、逆には「大きなタイコはドーンドーン」と。10日ほどして一人ずつ歌って、チョコちゃんの番「オーターコ、ドーンドーン」とにこにこうたった。春五月にはおっかさんが「チョコがいっぱいちゃべれるようになって・・・」と変化を話してくださったものの、正直のところ判断のつかない発音のままだった。それが”タイコの歌“以来ときどき明瞭に発音するようになった。ある日の放課後、他クラスのチョロチョロさんが教室にはいってきたのをおおきなこえではっきりと「ノリユキ、出てゆけ!」と叫んだ。
写真は蒲郡市博物館での全国絵手紙展より

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